2022年5月13日の金曜日追記します!
2022年5月14日15日に日産スタジアムで行われる10周年バースデーライブ開催にあたり運営より記念のアートワークが発表されました。
どの期生推しのファンにも胸熱な写真ですよね!
1期生
2期生
3期生
4期生
5期生
以上85名全員で到達した日産スタジアム。。。
そして推してきた数十万人のファンで到達した日産です。
2022年現在、これからも毎年ここでバスラができるでろう奇跡のメンバーが揃った乃木坂46。
これからも沢山のファンに感動と暖かい気持ちを与えてくれる素敵なグループでいてください!
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乃木坂46が今日2021年8月21日で結成10周年を迎えました。
本当におめでとうございます。
私が初めて乃木坂を見たのは2011年10月23日新木場STUDIO COASTで行われた1期生お見立て会でした。
今回は乃木坂10周年を記念して、私なりのこれからの乃木坂ファンへ伝えたい事を書いてみたいと思います。
10年前のお見立て会時期は、AKBが絶頂期を迎えつつある時代でした。
そんな中ソニーが逃した大きな魚AKBを取り戻すために企画されたのが、乃木坂46です。
お見立て会では当時のソニーミュージックの社長からのメッセージがスクリーンに映されて、史上最大のオーディションから選ばれたメンバーに対する大きな期待が語られました。
2回に分けたお見立て会は各回3000人のファン候補でいっぱいになりました。
その中には私のようになんらかの形でAKB関係のアイドルに関わってきた人、ライブアイドルに関わった人、AKBに乗り遅れたまったくの新規ファンがいたのだと思います。
いつの時代も新しいアイドルグループには大きな期待と、後発グループに対する不安があるだと思います。乃木坂も秋元さんが総合プロデュースするということで、48との差別化や位置づけにはファンの注目が集まりました。
「AKBの公式ライバル」
当時のAKB人気に対してこれほど刺激的で、挑戦的なキャッチフレーズはありませんでした。恐らくオーディションで選ばれたメンバーも大きな戸惑いと不安でいっぱいだったはずです。それほど当時のAKBの勢いは凄かったし、追い越せるような存在ではなかったのです。
生駒さんが「ぐるぐるカーテン」初披露のAKBリクアワで言わされた「目標はAKB48 を超えることです」
というフレーズは途方もなく、ありえないことでした。
そして、2011年10月にはまだデビューをしていないグループでは異例の冠番組「乃木坂ってどこ?」が関東圏で始まりました。その後放送エリアが拡がり、この番組きっかけの新規ファンが大量に現場に来たのも特徴だったと思います。私の周りにも、それまでアイドルには全く興味なかったけど、TV番組見て握手会に来たという人がたくさんいました。実はそれが乃木坂の今のカルチャーなどを作って来たのかなと個人的に思います。
アイドルグループにとって現場の雰囲気というのはとても大切です。
特に握手会などを中心にやっているグループは直接ファン同士が交流することが多く、現場の雰囲気やいわゆる民度はその後の新規ファン獲得や、リピートファンを作ることに大きな影響を与えると思います。そして、運営会社がいくら頑張っても抗うことができない要素でもあるのです。
私が実際に体感した乃木坂のファンが起こしてきた奇跡と努力をいくつかご紹介します。
「ペンライトの統一感」
乃木坂の活動初期はまだ、ペンライトとかサイリュウムはさほど重要なアイテムではありませんでした。ペンライトも今では当たり前の色を変えられるタイプのものは珍しく、多くは色を決めてサイリュウムを炊く(光らせる)ということが中心でした。
その後可変式ペンライトが普及して、メンバーも自分からメンバーカラーを指定し始めました。
それでもまだ楽曲によって、メンバーよってカラーを統一することは至難の業でした。
なぜならば、乃木坂のファンの中には、全体的に何かをすることに抵抗があったり、ライトファンにはそこまで協力的ではない人も多かったのです。
その後Twitterが普及し始めた頃から(当初はMIXIが中心でした)、ファンが提案して可変式ペンライトを使っていくことが始まりました。そして、私の記憶では一番統一に熱心になり、取り組めたのはブルーシアターで行われたアンダーライブだったと思います。他のライブと違って会場が小さめだったことが良かったのだと思います。そしてその流れは西武球場や神宮球場でも繋がっていきました。
生田さんが復帰した時の黄色、水玉模様の水色or 青、何度目の青空かの水色or青などが次々と提案され、最初は50%位から、そのうちに80%位に、そして今ではほぼ100%できるようになりました。
実はペンライトの統一は、ハロプロや、アニソン現場では既に実行されていましたが、公式ライバルであるAKBでは曲に合わせて統一したりということはあまり行われておらず、乃木坂ファンがファン主導で(運営が関与したことはほとんどないはず)このカルチャーを作り出したことで、その後の新規ファンはライブで色を変えて統一することをとても楽しみにしてきました。ファン発信のファンサービスをする、これが一つの奇跡でした。
「生誕委員会という名のファンの横串と運営との信頼関係」
生誕委員会というと今でも抵抗があったり、一部の特権的ファンがやっていることというイメージを持ってる方もいると思います。私もかつては生誕委員会を積極的にやっていましたので、抵抗する人がいたり、批判的に思われたことは沢山経験しました。
生誕委員会はもちろんどこのアイドルグループでも存在していて、推しの年に一回必ずやってくる誕生日をファンがお祝いしています。AKBでは専用劇場での生誕祭が今も行われていて、それぞれのメンバーの生誕委員会が存在しています。
乃木坂は専用劇場を持たないので生誕祭を行うことは非常に難しかったのです。しかしその後運営との話合いのなかで、握手会の休み時間のわずかの時間で行うことが許されるようになりました。最初は合同生誕祭で複数のメンバーが休み時間に出てきて、その後誕生月毎にのメンバーごとに1~5部の握手会の休み時間に順番に行うようになり、それを見たいというファンが握手券を持ってなくても会場に見にくるようなイベントになりました。
そして、握手レーンをデコレーションして生誕祭を盛り上げる独特のカルチャーも乃木坂ファンが作ってきたものです。
生誕祭の調整をするために、またファン同士のある程度のルールを作るために横の連絡板がLINEで運営され始めました。その後欅、日向、櫻の坂道でも同じことが行われていると思います。
この横串ともいえる連絡網を使ったり、派生して、生誕祭以外にも例えば成人式や、卒業イベントも企画されるようになり、それぞれが握手会場や、ライブ会場でファンによる、ファンサービスが行われるようになりました。もちろんメンバーも楽しみにしてくれていたと思います。
私が印象に残っているのは、松井玲奈さんの兼任解除の際に行われたセレモニー、川後陽菜さんがファン投票でモデルになれた時のお祝いセレモニーなどです。全てファンが企画をして、会場でのファンサービスになったと思いますし、運営も非常に協力的にサポートをしてくれるようになった、つまりファンと運営との信頼関係に繋がったことがとても大きなことだったのです。できそうでできない関係だと思いますし、ソニーという大手レコード会社がファンの自主性を容認してくれたことが素晴らしいことです。
その後も私は沢山のファンの起こした奇跡のような一体感を見てこれました。。。
病気で初めての神宮ライブ出られなかった橋本奈々未さんのためにファンが作った3万羽の折り鶴。
松井玲奈さんの卒コン実況中継におけるペンライトの統一。
生駒里奈さんのAKB時代の選抜総選挙における乃木坂ファンの協力。
永島聖羅さん卒業発表した時に誰が言わなくても自然に統一された武道館の黄色のペンライト。
「乃木坂ファンへ」
乃木坂の10年間、私がガチファンだったのは5年半位で、その後はライブなどが当たったときに参戦したり、配信ライブを観る典型的なライトファンです。
それでも乃木坂は良いグループだなと思い、ずっとファンでいられるのは、今もTwitterなどで繋がっている会ったこともないファンとのコミュニケーションがあるかも知れません。
それが本当に大切なこと。。。
乃木坂が好きだということで、全国、いや全世界のファンと交流でき、情報交換ができる奇跡。これこそが本当に大切にしなければならないことだと思います。
そして、それぞれに応援しているメンバーがいて、誕生日には推しを超えてタグを作ってみんなでお祝いする。当たり前のようなことに奇跡があり、それを大切にしてきたそれぞれの時期のそれぞれの思いのファンがいる。
今あたり前だと思うことは実は当たり前ではなく、ファンが作り上げてきた大切なグループへの思い、推しへの思いです。
私はそんな乃木坂が大好きだし、乃木坂ファンが大好きです。
未来の乃木坂ファンにもそんな大好きな乃木坂を繋いでいってほしいなと心から願います。
乃木坂46、10周年本当におめでとうございます!!!!