1月31日、東京ビックサイトで、橋本奈々未さんの乃木坂で4回目の生誕祭をおこないました。

私が初めて橋本さんに会ったのは、2011年10月23日新木場のお見立て会でした。

当時の橋本さんはどちらかと言うと地味な優等生と言う雰囲気で、アイドルに何故なったかわからないような人でした。

暫定選抜にも選ばれず、やる気もあまり感じませんでした。恐らくまだアイドルに戸惑いながら、活動していたのかも知れません。

お見立会では、高山さんを暫定推しとシートには書きましたが、握手レーンが混んでいたので、気になっていた橋本さんを推すことにしました。
理由は変わっているところ (当たってた❗(笑))、アイドルらしくないところが面白いなと思ったからです。

そして橋本さんの誕生日が2月20日でにんにんの日。私の誕生日が7月3日のななみの日です、などとキモい話をしたことを後日覚えていた時は記憶力の素晴らしさに驚きました。

あと、ショートカットが私の中学時代の初恋の相手、バスケ部のキャプテンの雰囲気に似ていたというのは内緒です(笑)

それから、MIXIのコミュニティに参加して、生誕祭の募集があるとことを知りました。
11月のZEPP東京のイベントの後、4人のメンバーが集まりました。
高校生、大学生が中心で、何故か自然に私が取りまとめの責任者になりました。
その時には、さほどの労力もかからないだろうと思い、SDNでの生誕経験もあったので、軽く受けてしまったが本音です。

生誕コミュニティを立ち上げて、20名位のメンバーが集まりました。
乃木坂からファンを始めた人、AKBから流れてきた人など様々でした。
ソニービルのイベントなどで、ミーティングをしながら、企画を詰めて行きました。
まだ、デビュー曲や、デビュー日が決まる前のことです。

そして、運命のファーストシングル「ぐるぐるカーテン」が2月22日に発売が決まりました。
橋本さんの誕生日は2月20日。
発売イベントで生誕祭をゲリラ的に敢行するしかありませんでした。

2月22日の発売日、メンバーは5~6名に分かれて、リリースイベントを各地で行いました。
橋本さんは、新潟イオンに決まりました。
生誕グループから、平日に休みが取れる7人で新潟にゲリラ生誕をやりにいくことになりました。まだ、生誕祭を運営にオフィシャルに認めてもらえる前のことです。

今、橋本生誕で着ている赤い73のTシャツもその際に製作しました。
デザインは、ズバリ、スラムダンクの湘北高校をイメージです。
バスケ好きの橋本さんが、スラダンが好きであろうという憶測のもとに決まりました。

今でもシャツの左腕についているメッセージがあります。
「If giving up, the game will be over !」 
「諦めたらそこで試合終了ですよ」
スラダン、安西先生の名セリフです。

これは、当時AKBの公式ライバルという途方もない目標を掲げた、乃木坂メンバー全員に対して、もちろん橋本さんに対する応援メッセージでした。

そして、Tシャツはメンバー全員、運営スタッフ、バナナマン、南流石先生にも送りました。
今もそのメッセージを伝えるため、その後も2期生全員にも配っています。
西野さんがPVで着てくれていたり、他のメンバーがプリンシパルのレッスンでも着てくれていました。

2012年2月22日、新潟イオンで行われたミニ握手会で、生誕祭のようなものを実施しました。

これが、記念すべき第1回の生誕祭でした。
私は「橋本奈々未の本気をみせてくれ!」と激を飛ばしました。
「いつでも本気だから!」すぐに言い返してきたことを良く覚えています(笑)

その後、一緒のホテルに滞在していた深川さんから、生誕祭であげたアルバムをすごく喜んでいたということも知りました。

そのアルバムのスタイルは、今も継続してプレゼントしています。

タイトルは「のぎのぎななみ物語」。

そうです、あの時から物語は始まり、今も続いているのです。

当時から、本人が直接我々にレスを伝えることはあまりありませんでした。
橋本さんらしいです(笑)

2013年は幕張で20歳の記念生誕を、2014年も幕張で生誕祭を行いました。

橋本生誕委員会は、単なる生誕時期のみのものではなく、1年を通じて、橋本さんを応援しようというコンセプトでした。
ライブの時、プリンシパルの時。
良い時も、少し苦しい時にも変わらずに応援してきました。


2015年の生誕祭も1月31日にビックサイトで無事に実施しました。今回は生誕委員以外の仲間にも大変お世話になりました。取りまとめをしながらも、いろいろな方々が橋本奈々未さんを応援してくれている事が何より嬉しいです。

そして今年も全国から本当に沢山のメッセージカードをいただき、届ける事ができました。生誕祭で最も大切な仕事。橋本奈々未さんを応援してくれている沢山のメッセージを届ける事かも知れません。

話は変わりますが、人はなぜヲタ活をするのでしょうか?

アイドルが好き、可愛い子が好き、現実逃避の為、ヲタク仲間と絡むのが楽しいから。。。

理由は様々ですね。
それで良いのです。

私の場合には、純粋に橋本奈々未という人間を応援したいという気持ちが30%。

素晴らしい仲間と楽しく過ごし、一緒に橋本さんを応援しながらヲタ活をみんなに楽しんでもらおうという気持ちが30%。

そして、残りは、仕事やプライベートからの逃避というか、ヲタ活にのめり込むことで一瞬の時間を楽しい時間に変えたいという欲求なのかもしれません。

だからこの3年半、乃木坂というグループに、そして、橋本奈々未さんには感謝の気持ちで一杯です。すごく充実した濃い時間を乃木坂と橋本さんの急成長に投影しながら、自分の生活の活力に変えてこられたからです。

本当に素晴らしい仲間たちと出会いました。

昨年の生駒選挙委員会に参加してからは、推しを超えて沢山の仲間にも出会いました。

すべての仲間が、今の私の財産です。

特に生誕員会発足当時から、一緒に頑張ってきた数人の仲間には、本当に感謝しています。

まだ、生誕祭が今のような形になる前から、周りに叩かれながらも一緒に頑張ってきた戦友ですね(笑)

いつか何年後になるかわからない、橋本さんの卒業の日まで。

いや、芸能人を辞める時が来るまでかな…

最後に一つエピソードを。。。

2012年のある事件の時に、急遽大阪全握に参戦して、生誕メンバー全員の応援メッセージを一つ一つ、1ループ1ループして伝えたことがあります。

最後の30枚出しで、私の気持ちを伝えました。

「誰がいなくなっても、仲間と一緒に卒業まで見ているから心配しないでいいよ。。。」

その時に最初で最後私にみせた涙。

約束は守るためにあります。

そのためにこれからの乃木坂のヲタ活を捧げます。

皆さんこれからもよろしくお願いいたします。



追記
2/15日京都握手会場で今年度最後のメッセージカードの回収を行いました。
150枚以上のメセカを書いていただきました。先日生誕祭で渡した分を含めて800枚以上のメセカを書いていただきました。

橋本さんが、これだけ沢山のファンから愛され支えられている事を改めて感じました。

アイドルからタレントへ、素晴らしい大人に成長することを陰ながら祈ります。

また、生誕祭にお忙しい中お出でいただきました古川さん、本当にありがとうございました。私たちの最高の思い出になりました。

追記2

7月3日はななみの日です。←2012年7月3日橋本奈々未ブログ参照(^^)