2010.05.19(水)
今朝も4時前に目が覚める
私の体調不良はホンの少し軽くなっている。
舞の呼吸も、静かすぎるぐらい。

「食欲さえ回復してくれたら・・・」と
僅かな希望を抱く朝だ。
苦しい時や、身の置き場のないような時に動いていた彼女、
今朝の足取りは、少し元気だった。

やっと伝える
「もうすこししたら おかぁさん、帰ってくるよ」と。

普段なら8:15自宅を出るのだが
月曜からは8:20ギリギリまでそばにいた。
今日は8:25までそばにいた。

「まいちゃん、お父さんがお母さんを迎えに行ってるからね。
 もう少しだからね。」
そう行って、部屋を出た。
玄関で靴を履きながら、フと耳を澄ます。
慌てて部屋へ戻り舞を見る。
浅く静かな呼吸をしている。
「いってきます」
私は会社へ向かった。

会社の人に了解を得て、9:00過ぎ母に電話をする。
私「無事着いた?舞ちゃんどんな?」
母「うん、ちょっと道路が混んどって到着遅れたんやけどね。
  まいちゃは大丈夫よ。行きたいとこ行かせよるし。歩きよるよ。
  リンゴ擦っちゃったんやけど、嫌がらい(いやがっている)
  だいじょうぶよ」
良かった。

昼休み。
「私が食べなくちゃ、舞を看れない」
今日は無理やり流し込んだ。
其の後、30分ほど仮眠を取る。

また電話をしてみる。
母「ちょっと痛そうな声を出しよるけど、お水も飲みよるし、
  おしっこもしよるし。だいじょうぶよ。
  今はグーグー寝よるわい」
良かった。

請求書を発行するために、計上処理をし、
そのデータが請求処理に反映されるのに5分程度かかる。
そう聞いていた私は、即発行したいがために
2:25に計上処理をしてから、数分おきに時計へ目をやっていた。
「やっぱりキッチリ五分かかるんかな~」と
画面確認しながら、2:30になりやっと反映され
請求書を発行した。

会社の電話が鳴る。
取ろうとしたら、引き出しで携帯のバイブレーション。
会社の電話はSさんが取り、
私は袖机の引き出しへ手をかけていたら
S「●●さん、お父さんからだとおもいます」
電話に出てみると父だった。

父「携帯も鳴らしよったんやけど。
  舞ちゃん、いかんかったわい。
  わしが携帯さわりよる時、ちぃと静かな声がしての
  くるしそうなんとは、ちごぉたけん、メールして
  ひょいと見てみたら、静かなんよ。
  時計を見たら2:30やったわい。
  いっちょも苦しんだ様子はなかったんよ。」

Sさんに「すみません、一時間ほど戻ってもいいですか?」
S「もう今日は帰ってもいいんじゃないですか?」
月曜日、会社の方へは
「たかが犬ごとき、思われるでしょうが・・状態が悪く
 父も仕事私も仕事母は県外、と・・・
 数日ご迷惑おかけすると思うのですが・・・」と一言伝えていた。
ありがたい。ほんとうに、もうしわけない。

自宅へ帰ると静かに両親が座っていた。

まだ温かかった




『もう・・・いってもいい?』

彼女は昨夜、私に数回聞いてきた
いままでの苦しみの目ではなく
『もう・・・いってもいい?』と。

すぐにラクにしてあげたかった。
けれどお母さんが帰ってくるよ
もうちょっとだけ・・・

それを察したんだと思います
本当にしんどかったろうに
比較的しっかりと歩いていたんです
朝、ウッドデッキへ出たそうにしていたので
「出ていいよ」と開け放したのですが
彼女は出ませんでした
クンクンクと外の空気を嗅ぎ
外を見ていました

母を待っていたんだと思います







たくさんの愛をありがとう
たくさんたくさんあいしてる
これからさみしくなるよ
つまんないよ
でも ほんとうに ありがとう あいしてる



行きつけのシャンプーへ電話をし
ココを紹介していただきました
http://dogo-forestgarden.com/index2.htm

私は仕事があるので
父と母の二人が今日午後 彼女をおくります


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スルーしてくださってかまいませんクローバー

舞と最後までを・・・残したかったのです
2010.05.18(火)
(前夜の出来事)
埼玉へ行っている母へは、今のギリギリな状態を隠していた。
しかし、もう残された時間が少ないことを父と私は感じていた。
父から母へ電話をしてもらう。
母は、いつもの病気の繰り返しだから
今すぐ命に別状はないだろう、と思っている。
母は、「私がもし帰らんかったら、サテは私の事、冷たいと思うやろか?」
と言ったらしい。
そんなの、思うはずもない。
母には今の状況が見えていないし、
私たちが悲観しすぎている、と思っているのだろう。
帰ることが縁起でもない、と感じているのかもしれない。
どうするか、は母に任せた。

数時間後・・・
弟より「おかん、帰るけん。」と電話が入る。
色々帰る手段を調べ、5/18 20:25発の夜行バスに乗る手配をした。
松山へは5/19 8:30頃の到着予定だ。

舞ちゃんへは、まだおかあさんが帰ってくることは言わなかった。
苦しそうな息をするのを見て【がんばれ】とも言えなかった・・・
ただ・・・【大丈夫、だいじょうぶだよ・・・あいしてるよ】と。

***
5/18の朝
今朝も4時から目が覚める
私はアホやから、相手の苦しみを我が身に感じるように身を置いてしまう
食べることに罪悪感を覚え、食欲を失い
飲むことに苦しみを覚え、
不思議なところに痛みを感じ、
頭がぼぉ~っとしていた

夕方帰宅。今日も病院へ点滴をしにいく。
車の中で彼女と目をあわすと、彼女の目が「あること」を私に言っている
・・・それに対しては「いいよ」とは言えなかった・・・

日曜・月曜・火曜と三日目の点滴。
先生「今日は随分と呼吸が楽そうだね。
   食べたいもの食べさせてあげてね。」
サテ「明日はコチラお休みですよね。
   点滴だけお願いしたいのですが」
先生「分かりました。午後コチラの都合のいい時間になりますが
   ご自宅にお電話いたします。」
三回目の点滴時、舞はじっとしていた。
苦しそうな声もださず。

帰宅。
明かりを付けていると体力が奪われる、と
以前(人間の)病院で聞いていたので、舞がいるリビングは薄暗い。
舞と父の帰りを待つ間、あなたとの思い出を私は話していた。
時々会話がとぎれると、彼女の目がやはり「あること」を言っている。
怖くなり、時計ばかり気になる。
この日に限って、父の帰りが遅い(遅く感じた)

がんばれ、とは言わない
お願い、まだいかないで・・・

父がやっと帰ってきた。
その頃には、舞の呼吸は落ち着いていた。
ここ数日間の辛そうな状況がなくなり
「もしかして」の希望が出てきた。

でも、あの目は・・・

本当に呼吸は落ち着いてきている。
慌てて母を呼び戻したりして、私たちよっぽど怖がり?
なんて思いながら、浅い眠りへ
2010.05.12(水)
自分がやったのではないが、多分この日にご飯食べたはず。
耳を覆うように顔を包み込むと、全体的に熱い。発熱。

2010.05.13(木)
朝から何も食べない。
父も私も出勤のため、母は自転車に舞を乗せて病院へ行こうとした。
しかし、全身の力で嫌がる舞。落ちそうな勢いだったらしい。
「自転車カゴ用防犯ネット」で押さえようとするが無理、断念。
夕方帰宅後、行きつけの坊ちゃん動物病院へ行く。
30分ほど待って、診察室へ入る。
いつもと同じ耳下腺が腫れているのだが、
・今回は衰弱が激しい
・呼吸困難になった後の回復に時間がかかる
・微熱
ということで、
・血液検査
をしてもらい
・点滴(水分補給+ビタミン+腫れを押さえる薬)

晴れを抑える注射をすると、毎回数時間「興奮状態」になる。
薬の効きが強いのか?詳しいことは聞いていないけど。

2010.05.14(金)
落ち着いた様子。腫れ具合は変わらず。
大好きな卵焼きも大好きな豚肉を茹でたのも顔を背ける。
夕方帰宅後、テーブルの上にあった「リンゴ(薄くスライス)」したのを
鼻先に持っていくと食べた。久しぶりに食べた。
この日はリンゴ1/4程食べた。
飲み薬も一緒に与えたかったけど、リンゴスライスとは
一緒に与えるのは難しい。
嫌がるを押さえつけ興奮させると、呼吸困難になる。
そちらの方が危険なので、薬は諦める。
夜2時まで様子をみる
翌朝早いので布団に入るが寝れない

2010.05.15(土)
結局2時間程度寝て、5時過ぎ起床。
父は仕事
母と私は松山空港へ行かねばならない。
つまり日中、舞一人になってしまう。
以前に旅行へ出かけるとき、病院へ一泊?預けたら
「ご飯食べませんでした」とのこと
ご飯も水も、よそでは取らないみたい。
さらにトイレもしていなかった様子。
連れてかえるや否や、オシッコ失敗する。
(それ以降、この子の負担になるよりは
自宅でおらす方がええやろ、となる。)
6:30自宅出発まで、リンゴを食べ貰おうと挑戦するが・・・。

父帰宅予定19:30
母は埼玉の息子夫婦の手伝いに 帰宅予定5/29
私は会議の為大阪へ 帰宅予定5/16 21:00

父から何度も電話・メール
とても危険な状態だと伝わってくる
翌日の会議を欠席させてもらえないか、トップにメールするが
深夜まで会議されていたため翌朝、再度問合せするまで返事がなかった。
結局は、昼間での会議へは参加となる。

この日は二時間おきに目が覚めてしまう。
どうすることも出来ないもどかしさ・・・

2010.05.16(日)
5:00からトップからの返事が届くのを待つ
化粧をし、いつでも空港へ行けれるようにしていた。
しかしトップからの返事は8:00「よく考えてね」当たり前だ。
今回の会議(議決をとる)は本当に重要事項、分かっている。

会議がやや延長にはなったが、終わり次第即会場を後にする。
金券ショップへ行き株主優待を購入しようとしたが
日曜日は閉まっていた。
乗りたかった飛行機には無事乗れ帰宅。

部屋に入るや否や、浅くではあるが呼吸して寝ている舞を見る。

手が・・・
手の震えが止まらない・・・
指先から手首までピリピリする・・・
若干の過呼吸になりながら一人泣いてしまった・・・

生きていてくれてよかった・・・
ごめんね・・・
あいしてる・・・

スグに病院へ行った。
掛かりつけ医は日曜診療をしておらず、
以前大晦日に診療してもらった病院へ行った。
当然のことながら、
・本来はずっと症状を把握している病院で診て貰うほうがいいですよ
・緊急措置はできなくはありませんが、責任は持てません
・正直危険な状態です
・状況を把握しないと、うちでは何もできません
おっしゃるとおり。そのとおりだ。
心からお詫びを伝え、一から診察をお願いした。

あまりいい状態ではない、そのことは変わらない。
しかし、診てくれる先生が出来た。信じ、お任せする。

埼玉へ行ってる母には、細かい事までは伝えていない。
今、松山から離れている母は、身体も丈夫ではない。
心と身体に大きな負担となってしまう・・・。

昨夜も緊迫する場面が何度かあったが
今朝を無事迎える。

無理して食事させよう、とはせず
水分を与え、呼吸を落ち着かせよう・・としている。


自分でも「ばかみたい・・・?」と思いながら
本気で
「痛いの痛いの 飛んでいけ!」と彼女をさする。
何度も、何度も・・・
効いて欲しい、と心から願いながら、本気になってしている・・・。


2010.05.17(月)
今朝も5:00に目が覚める。
今日は父も私も出勤。
出発ギリギリまで、様子をみている。
6:00に、耳下腺が裂けているのを発見。
溜まっているものが出ることにより、
若干でも呼吸や器官が楽になって欲しい。
(先生に「抜いてください」と依頼したが
「針を指すなど、万が一興奮して呼吸困難になったら、
 そういうリスクもあるので、あえてしないほうがいいだろう」
と言われていた。
自然に裂けてよかったと思う。

いつもなら、裂けた後は回復するのだが
今回は油断できない状況だ、と十分分かっている。
今日も夕方先生に診て貰う。

先程、会社の人に事情を説明し一旦帰宅して様子をみてきた。
安定していた。ホッとした。


自分も家族も、延命治療はしたくない、と望んでいる。
しかし、いざ別れが目の前に見えてくると
「まだ、まだ・・」と思ってしまう。

今回も、いままでのように回復することを願い
体力を少しでも回復できるよう・・・

何もしてやれないのが辛い
「痛いの痛いの飛んで行け」を本気でする・・・


余談
会社の「幸福の木」が初めて花を付けた。
「幸福の木」が花を付けるのを初めて知った。