2019.4.6に開いたLIFELIFELIFEの幕も、平成という時代の終わりとともに閉じられた。比較するrangeが違いすぎるけど、LIFELIFELIFEも平成も、私にとっては結構あっという間という印象。舞台が終わってしまった寂しさと、新しい時代が醸し出すホワっとした期待感、何ともないまぜな空気感が漂っていた。
考えてみると千穐楽のカテコも、No.9のときとは雰囲気が違っていた。今回は4人とも主役扱いというのもあるのだろう。No.9のときに吾郎さんが背負っていた重圧感は感じられなかったし、千穐楽の清々しいまでの高揚とした顔とは違っていた。今回については大先輩との共演、しかも4人のみの舞台、円形舞台、客席との近さ、そんな緊張感から解放された優しい、満足した顔だった。段田さんや大竹さん、ケラさんを立てる吾郎さんが、あまりにいつもの吾郎さんで、こっちがニマニマしてしまった。
ともさかさんがブログに書いていらしたが、カテコで初めてこんなところで演っていたのかと、円形舞台と客席を実感したと。私は前楽で、舞台上手側の特S席に座る機会が得られたのだが、サイドに座ると両翼に大勢の観客を順えることになる。視界に入るその風景が通常の観劇とあまりに異なることから、少し身震いした。役者陣はこんな世界観で演技をしているんだと。
舞台は、(前にも書いたが)観る日によって随分と印象が違うものだった。
役者陣のコンディション、客層の違い、観る方向の違い、座る位置前後の違いなどなど…(そんなに観たの?とは突っ込まないでね、実際何度も観てるけどww)。前に舞台の感想をブログに書いたのは、たしか4.22。実際、その時書いた印象と今持っている印象は異なっている。前は1幕が現実で2幕3幕は空想のような気がしていたのだけど、今は3つはすべて考えられるケースなのかなって思ってる(笑)
当初はどうしても吾郎さん演じるアンリを中心に観てしまっていた。が、観劇が後になるにつれて気になっていったのは、ユベールとソニアの現実性だ。それに対するアンリとイネスの感傷性とでもいうのか。ユベールとソニアは3幕を通して、気分が浮き沈みしない。実際、劇中でイネスに「あの2人は強かね」と一緒に括られている。その一方でイネスが「私たちと違って」とアンリに同意を求めるのだが、アンリは「一緒にしないでくれ」と否定する。ある意味、病んでいる人は自分の病を概して認めないものだ。
そう考えていくと、精神的な強かなユベールとソニアがどういう心持ちでいるかによって、周りにいる人たちは左右されるのということなのかな、と。ユベールはソニアを第一印象で、コケティッシュで小悪魔的で可愛いと思って好意を抱いている。それは3幕通して変わらない。そこからどんな行動を起こし、気持ちがどう変わるか、その違いが3幕の違いなのか。
1幕は、ユベールはその第一印象のママ、何ら行動を起こしていない状態。4人に特にやましい気持ちがないので、3つのLIFEの中で一番どったんばったんな幕ではあるが、病的ではない。4人とも言いたいことを言って、聞いて、素直に口論になっていく。子どものアンノも当然素直に我が儘だ。
2幕は、ユベールが既にアクションを起こしていてソニアもそれに満更でもない状況。ソニアの気持ちがそれとなくアンリに伝わっていて、アンリは2人の関係を気にしていることが示唆される。不安を抱えているからかアンリもソニアも互いに我が儘を言いにくく、表面上は良い夫婦に聞き分けのいいアンノという構造だ。
3幕は、ユベールは気持ちを表しているがソニアは引き気味な状態。アンリの上司だから無下にもできないけど、あまり乗り気だとも思わせたくない。だからわざとガウンのママ出迎えたのだろうか。それでもユベールの提示する科学の統一理論という難しい話には十分に乗っていく甲斐甲斐しさを見せる。アンリもソニアも、ユベールの気持ちを知っていたのかな。アンリはユベールに対し、自身のすごさを見せようとするし、ユベールの目の前でのキスをソニアに求める。明らかなオスの行動(笑) イネスは3幕最初っからずっと鬱の傾向があるのは、夫が1日前倒しでやってきてるのを知ってるのかもなとか考えてしまった。
たった1人の気持ちや行動が違うだけで、もしこれだけ違うのだとしたら、日々の生活が恐ろしく感じる。自分のやってること、言っていることは、人にどういう影響を与えているのだろうか。落ち込ませたり、あるいは良い影響を与えたりしているのだろうか。しかし、である。人生というのは一度キリで過去に戻ってやり直すことはできない。仮に戻れてやり直せたとしても、この舞台が示唆しているように、必ずしもHappy Endになるわけじゃないんだよね。だから、今をやっぱり一生懸命生きるんだ、という前向きな結論になるのは前の解釈と同じだった(笑) 自分のポジティブさに乾杯だww
そしてこれはSMAPにも言えることだな、と今書いてて思ってしまった。
私たちファンがどれだけ前と同じSMAPを求めても、たとえ戻ってくる未来があったとしてもそれは前と同じSMAPではないんだよな。5人はそれぞれ違う道を歩いている。歩いている延長線上に交わる機会があるかもしれないとは思うけど。前と同じものを作ろうとする人たちなら、たぶん今の現実はないし、未来はもっとない。彼らは私たちが求めることを真摯に実現してくれようとする人だけど、後退する人たちではないからね。それを求める方も肝に銘じなければ。
いかんいかん、書き始めるとつい長くなってしまう。推敲している時間が今はないので、今日はとりあえずここまでで。ツイに貼ったやつを、ここにも貼っておこう。
LIFELIFELIFEという至福の舞台を、ここに来たらすぐ思い出せるように。