1939823日、握手するモロトフとリッベントロップ

 

条約に調印するソ連外相モロトフ

 

1939928日にナチス・ドイツとソビエト連邦によって調印された条約である。】

(概略)

ドイツ・ソビエト境界友好条約(ドイツ・ソビエトきょうかいゆうこうじょうやく)は共にポーランド侵攻を行った後の1939928日にナチス・ドイツとソビエト連邦によって調印された条約である

・その調印はドイツとソ連の外相のヨアヒム・フォン・リッベントロップとヴャチェスラフ・モロトフによって行われた。

これは同年823日に調印されたモロトフ・リッベントロップ条約(独ソ不可侵条約)を前進させたものである

 

ドイツ・ソビエト境界友好条約の地図

〔秘密条項〕

・いくつかの秘密条項が付けられた。

・これらの条項は相手側が占領したポーランドの領域からロシアとドイツの同胞を交換することを認め、モロトフ・リッベントロップ条約に指示された中央ヨーロッパの勢力範囲の再決定を行い、そしていかなる「ポーランド人の扇動」も抑圧することへの合意も含まれた。

・ドイツ国防軍がポーランドに前進した際にドイツはルブリン県(英語版)とワルシャワ県(英語版)東部の支配権を得たが、モロトフ・リッベントロップ条約によるとその領域はソビエトの勢力範囲の中にあった。

・この損失分をソ連に補償するために条約の秘密付帯事項はナチスが時にはスヴァウキ・トライアングルとして知られるスヴァウキ地区の小さな領域を除いてリトアニアをソビエトの勢力範囲に渡したことを詳しく記している

この譲渡によりソ連は1940615日にリトアニアを占領し、リトアニア・ソビエト社会主義共和国を樹立することが可能となった

【第二次世界大戦前のソ連-独ソ不可侵条約についての解説です。】

1939823日。ヒトラーはソ連との間に独ソ不可侵条約(ふかしんじょうやく)を結びました

実は、この独ソ不可侵条約というのは、後の第二次世界大戦へのきっかけとなる条約です。第二次世界大戦はドイツがポーランドに侵攻し始まりましたね

・このドイツのポーランド侵攻を可能にしたのが独ソ不可侵条約なのです。

「ん?どういうこと??何って感じですよね。」

・では、この独ソ不可侵条約の内容を見ていきましょう。

・独ソ不可侵条約の内容は簡単にいってしまえば、ドイツとソ連の間で「お互いに領土を侵すことのないように約束し合いましょう。」という条約。

・しかし、これがなぜドイツのポーランド侵攻を可能にしたのか?

・それは、ドイツの地理的条件に大きな理由が隠されています。

・ドイツの西にはイギリスやフランスがありますね。

・英仏はドイツの宿敵なわけです。

・そして東側にはソ連がいます。

・ドイツがポーランドに侵攻した場合、イギリス、フランスがドイツに対して宣戦布告してくるのは予測できます。

・これ以上、ドイツに力をつけられても困りますからね。

・そうなった時にソ連まで敵に回したくなかったのです。

・だって挟み撃ちになっちゃいますから。ですから、ヒトラーは独ソ不可侵条約を結んでソ連と友好関係を築いておきたかったのですね。ドイツがポーランドに攻めていっても邪魔しないでねってことです

・これでドイツの狙いは理解できますが、しかし、その思惑になぜソ連は乗ったのでしょうか?

〔ソ連の思惑〕

ソ連も実は地理的に挟み撃ちが怖かったのです

・ソ連の西にはドイツがいますね。そして、東には・・・。

・そう、日本があります。当時の日本は満州国を事実上支配。

・朝鮮も植民地とし、中国とも日中戦争を繰り広げていました。

・そしてソ連の仲間の社会主義国であるモンゴルとも満州国との国境線をめぐりノモンハン事件などが起きています

このノモンハン事件では、後ろ盾となっていた日本とソ連とで軍事衝突も起きています

・つまり、ソ連のスターリンの思惑としては、日本に気をとられている間にドイツから攻められたらたまったものじゃない。そこで、ソ連もヒトラーと手を組んだのですね。

〔秘密協定〕

・そして、この独ソ不可侵条約には秘密協定が付属していました

・まず、バルト3国のエストニアとラトヴィアをソ連の勢力範囲にすること

バルト3国のもう1つリトアニアもドイツのポーランド侵攻後、ドイツとソ連で話し合いがもたれ、ソ連の勢力圏に組み込まれます

・また、ポーランドについてもドイツとソ連で東西分割することが約束されます

〔その結課〕

・こうして、独ソ不可侵条約を結んだ1週間後の1939年9月1日

・100万の兵と2000もの飛行機でポーランド回廊やダンチヒに向かいました。

これによりイギリス、フランスはドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が勃発します

・ちなみに、独ソ不可侵条約は、第二次世界大戦中の19416月にドイツにより破棄され、ドイツはソ連に攻め込むことになります

 【条約の評価】

この条約の締結により、ドイツは東西二正面での開戦という最悪の事態を避けられるようになり英仏との戦いに有利な状況ができたため、第二次世界大戦の勃発を早める結果となった

戦後に東西冷戦が始まると、アメリカを中心にこの点が問題視され、「スターリンは、ヒトラーの背後の安全を保証してやってドイツと英仏を戦わせ、両陣営が消耗するのを待ってヨーロッパの支配に乗り出す魂胆だったのだ」と主張されるようになった

(動画)

 

[【世界史】 ファシズムの台頭7 第二次世界大戦へ (17分)]

https://youtu.be/Zgxm5foA3IY

 

 

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