町山智浩のアメリカスーパーヒーロー映画徹底解剖』は、MCUやDCユニバースの映画・ドラマに関する批評の名著である。

MCU作品の批評については過去にも他の批評家の著書やラジオで目にしたこと、耳にしたことがあるが、近年の作品に共通する特徴が本作ではまとめられている。

すなわち、「自らの出自や過去といった極めて個人的なテーマに関する作品を撮り続けてきた監督や脚本家を抜擢することによって真にクリエイティブなエンターテイメント作品を作り上げる」ということだ。

その上、「自らの出自」という点では従来のハリウッド(及びアメリカ社会)では虐げられてきた女性やマイノリティの起用という点も特徴的である。
『キャプテン・マーベル』『シャン・チー』『ブラック・ウィドウ』等々、実例と共に読むとなるほど納得感がある。

刊行タイミングの関係もあるのか、本作では取り上げられていないがDisney+で配信されているドラマ『エコー』も間違いなくその系譜に入る。
『エコー』の主人公であるマヤ・ロペスは、同じくDisney+のドラマ『ホーク・アイ』で初登場。
サノスによる「指パッチン」後、「浪人」として悪者を私刑にしてきたホーク・アイを追い詰める。

配信開始前にあらすじを読んだだけではマヤというキャラクターを思い出すことすらできず、「何の意味があるのか」と思いながら観始めたものだが、マヤに光を当てることにはちゃんと意味があった。
本作で明かされるマヤのバックボーンはネイティブ・アメリカンであり、アジア系やアフリカ系同様、アメリカ社会では虐げられてきた「マイノリティ」だからだ。
その上、マヤが女性であることを考慮すると二重の差別構造がある。
 
マヤは女系先祖が代々受け継いだ様々な力を使うことができる。(漫画『僕のヒーローアカデミア』におけるデクと同様)。
また、クライマックスでは育ての親であり強権的なギャングのボスでもあるキングピンやその配下と対決するのだが、マヤは仲間にも力をシェアして戦う(DC映画『シャザム!』の1作目と同様)。
マヤがキングピンを倒す時の必殺技は、母から受け継いだ「癒し」の力だ。
「受け継ぐ」「シェアする」「癒す」ことこそが「強さ」であるというヒーロー像は極めて今日的にアップデートされたもので、マヤだからこそ実現できることでもある。
暴力的な父親の下で育ったキングピンが、父親と同様に暴力でしか物事を解決できない男になったのとは対照的だ。 

 

 

ちなみにMCUで起用される作り手は、過去に大規模な予算の作品、アクション映画・CG映画を撮ったことがあるかどうかは問われず、純粋に作品のストーリーや人間描写で選ばれる。
また、キャリアの落ち目であるとか、ドラッグ・酒に溺れている状態であっても実力があれば起用されている。

この辺りは日本の企業と雲泥の差がある。
というのも、筆者は映画業界ではないものの現在進行形で転職活動をしているが、例えばプロジェクトマネジメントの職種であれば過去に手がけたプロジェクトの売上や期間、人数等の規模、営業職であれば同業種での経験年数が主に問われる。
プロジェクトマネジメントをする上でどのような考え方やスキルを持っているか、営業経験に関わらず多様なステークホルダーとの合意形成を行った経験はあるか、という観点の質問は意外と少ない。

更に言えば、たった一度、短期間だとしても体調を崩して休職した経験があることが不利に働くのも大きな違いである。
企業側は表立っては既往歴を基に候補者を選別することはできないが、内実を聞くとその通りに運用されるばかりではないらしい。
政府の後押しで、有給休暇や育休・産休の取得を推奨する企業は多いが、「休む」=マイナスというイメージは未だに少なからぬ企業に共有されているのだろう。

一方で、そんな日本社会にも希望はあると思える作品にも出会った。
『夜明けのすべて』だ。

上白石萌音が演じる主人公・藤沢はPMS(月経前症候群)でイライラが抑えられないことがある。
藤沢の会社の後輩・山添はパニック障害で電車に乗ることができず、徒歩圏内が世界のすべてだ。

原因も状況も違うが、同じ「生きづらさ」を抱える者同士の支え合い。
大げさな友情でもなく、安易な恋愛でもない、「同僚」というささやかな連帯。
これが実現できる社会はきっと豊かだろう。
難しくもあるだろうが、これを描く作品が存在する限り希望はある。

また、藤沢と山添が働く栗田科学という会社もまた素晴らしい。
複数のベテラン社員を雇い続け、潰れず、社員個々人の体調変化への理解もあり、自社製品を活用した地域貢献活動までできる。
控え目に言っても地域で一番の企業だろう。

栗田科学のような会社との出会いを願い、また少し予感もしながら、今日もまた面接に赴く。