2021年8月13日公開の『ドント・ブリーズ2』は、タイトルから明らかな通り2016年に公開されたホラー映画『ドント・ブリーズ』の続編だ。

前作では、若者達が盲目の老人の家に強盗に入るが、逆にひどい目に遭わされる。
『2』の舞台はその8年後。
老人は一人の少女を大切に、しかし一方では束縛して育てていた。
そこを謎の武装集団に襲われ、少女を誘拐された老人は、彼女を取り戻すべく武装集団のアジトに乗り込む。

前作の魅力は老人が盲目でありながら並外れた聴力と戦闘技術、執念で若者達を返り討ちにする恐ろしさにあった。
したがって『2』のあらすじを公開前に読んだ時は、老人の執念の裏にある秘密が前作で既に明かされていることや、目が見えないのに敵の「アジトに乗り込む」という一見無茶な展開から、「わざわざ続編をやる意味があるのか」と思った。

しかし、観賞するとその考えは一変する。
『2』は続編として、しっかり前作の先を行っていた。

 

 

前作同様、老人が戦闘時に視覚以外の情報で敵の位置を探るアイデアは見事である。
水浸しの地面に横たわり、敵が水に足を踏み入れることでできる波紋を手で感じ取るシーンや、敵に「鈴を飲み込ませる」という恐ろしいシーンなどがそれに当たる。

『2』では更に、戦闘における勝利の理由付け、一つ一つのアクションの意味付けが素晴らしい。

例えば、少女を誘拐された老人が敵のアジトに辿り着くための方法という、あらすじを読んだ時に感じた一番大きな謎は、生き物の命を大切にする者としない者、それぞれが相応の報いを受けた結果だ。

また、敵のアジトに乗り込んだ老人は、多勢に無勢でさすがに危うい場面を迎えるが、敵側の内部分裂(二度起こる)によってそれを逃れる。
これも偶然の産物ではなく、間違ったことをする人間に人は付いて行かない、金で買える忠誠には限度があるという理由付けがしっかり描かれている。

老人が育てている少女も、「誘拐される」「取り戻される」だけでなく、自ら能動的に行動を起こしているのもいい。

終盤、彼女が鉈を振るうアクションは、産みの親という「呪縛」から自らを解き放ち、自分の人生を自分で選ぶことを視覚化した動きだ。

老人は彼女を「フェニックス」と呼んでいるが、燃え尽きても灰の中から蘇る不死鳥の名前は、「再生」や「永遠」を連想させる。
その名前を誰が、どんな思いを込めて付けたのか、そして彼女がその名を自ら名乗るという「アクション」にはどんな意味があるのか。
武装集団や少女の正体という本作の謎とも密接に関係する見事な演出である。

過去の記事で、映画『透明人間』と1作目の『ドント・ブリーズ』を引き合いに出し、敵の姿が見えなくても生き残る術として視覚以外の情報を用いること、そもそも肉体の鍛錬が重要であることを書いた。

 

 

『ドント・ブリーズ2』で筆者が得た教訓は更にその先にある。
言葉にしてしまえば単純だが、生き残るには日頃の心がけ、行いが大事ということだ。

本作を観賞した後、知人と会う用事があったのだが、偶然にもその方が前日に遭遇した出来事もそれを物語っている。

深夜3時頃にふと目が覚め、横を見たら高齢の女性が何かを語りかけていたそうだ。
意味不明の状況を前にパニックになりそうなのを必死で堪え、その女性が近所に住む独居老人であることに気付き、家まで送り返したのだという。

女性は前々から認知症の疑いがあり、深夜に徘徊していたところ、たまたま知人の家の鍵が開いており、自宅だと思って入ったものの、間違いに気付いて知人に助けを求めていたと思われる。

その知人は武術、格闘技の経験が豊富で、体格もいい男性であるため、仮に女性のことを強盗と勘違いして攻撃していたらとんでもないことになっていただろう。

肉体的には生き残っても、社会的には間違いなく「死」を迎える結果になる。
この話を一緒に聞いていた別の知人は、「もし幽霊だったら怖いから自分なら気付いても二度寝する」と言っていたが、その対応では相手が幽霊以外、すなわち強盗や認知症患者であった場合に問題だ。

そう考えると、常日頃から近所の住民について把握し、深夜に想定外の状況に直面しても瞬時に、正確に状況を認識して冷静に対応した知人の対応は見事だ。
強いって、こういうことだ。
まあ、深夜3時に目が覚めたのは酒を飲み過ぎて眠りが浅かったためらしく、酔って家の鍵を閉め忘れるという不用心をやらかしているのも事実だが。

筆者も2年ほど前から護身術の道場に通っているが、熱中し出すとどこまでも凝ってしまう性分に加えて、昨今の情勢や事件の報道を見るにつけ、現在では刑事関係法規や犯罪論にまで関心の範囲が広がり、知識の習得に励んでいる。

過酷な世界で生きるには、肉体、頭脳、精神、いずれも満遍なく鍛えなければならないと思うのだ。