先日お伝えした通り、
ザサンアップライトの引退が決まりました。

近走では、
その面影はすっかり無かったですが、
共有当初は、
初期のサット厩舎のエースとして、
活躍してくれていました。

共有初戦からの3連勝。
そして、9戦連続連対(6勝+2着3回)は、
他の共有馬は達成していない記録です。
そして、その後南関浦和に転厩し、
転入初戦での低評価を覆す、勝利!
(今思えば、あそこが最高地点であり、
最後の勝利でしたね…。)

…と、4歳時までは、
素晴らしい成績を上げてくれていた同馬ですが、
その一方で、
常に左前脚腕節の骨膜に悩まされておりました。
(このブログでは爆弾と表記してました。)

その状況が酷くなっていく度に、
休養へ入っていきますが、
晩年になっていくほど、
休養対効果が無くなっていき、
徐々に成績も下降気味…となるものの、
その中でも意地を見せ、
たまに連対をしてくれる…、

という走りとなって行きました。

そして、6歳時に岩手へ転厩。
ここでも、転厩2走目に2着と意地を見せました。

しかし、9カ月の休養を挟み、
7歳に入って復帰してからは、
かつての先行力も影を潜め、
着外が続く状態…。

そして、ついに代表から、
次戦(前走)も凡走であれば、
共有解散…。
との崖っぷち宣言がされ、
迎えた(結果)最終戦、
結果は着外…。

…だったのですが、
ブリンカー装着の効果が、
それなりにあったのか?
久々の先行競馬が出来ていたため、
一旦は続戦方向に傾いたものの…、
しかし、またここで、
左前脚の爆弾が再発…。

結果的にはここで引退が決まりました…。

しかし、コロナ禍真っ只中の、
何となく楽しみも憚られる時期に、
爽快な逃げで連勝連対を続け、
楽しませてもらった功績は、
決して色あせることはありません。
4年弱楽しませてもらった、
ザサンアップライトに感謝です。

ちなみに今後は、
野馬追の厩舎に引き取られるとのこと。
伝統行事の一翼を担うという、
役割を与えて頂きました。

良い余生を過ごして欲しいです。