前回、前々回と、ヨブ記の1:4が誕生日である可能性について、ヘブライ語本文と文脈からお話ししました。


実は、もう一つ言いたいことがあります。


ヨブ記3章全体は、ヨブが自分の生まれた日をどれほど憎んだかについて何回も書かれています


つまり生まれてこない方が良かった、死んだ方がマシだとという考えになっていたのです。


なぜでしょうか?


いうまでもなく、子供達が皆死に、自分も病気になり、惨めな状態になったからです。その状態では彼の考えは当然正常ではなく、落ち込んでいたので、自分の生まれてきた日を憎んでもよくわかります。


しかし、それは彼の正常な考え、正しい考えではなく、落ち込んでいたから、そのような間違った考えになったわけです。つまりこの章にある考えは本来持つべきではない物であったはずです。


逆にいうとどうでしょうか?彼が直面したこれらの災厄が起こる前、また彼の病気が癒やされ、再びエホバに祝福された時には、何と言ったでしょうか


おそらく真逆にことを言ったことでしょう。

自分が生まれてきて本当に良かった!自分の誕生した日を愛している!その日、その夜は本当に素晴らしい日だ!子供たちも生まれてきた日は本当に素晴らしい!そのように言ったことでしょう!


彼が災難を終え、エホバに祝福された暁には、彼は3章の真逆のこと、つまり自分の生まれた日を祝福するのではないしょうか?エホバに自分の誕生した日を心から感謝したのではないでしょうか?


これはつまり誕生日のお祝いの考えではないでしょうか?


前回も書きましたが、ヨブ1:4が絶対的に誕生日だったとは言いません。しかし、絶対的に否定することはできるでしょうか?むしろ可能性は十分あるのではないでしょうか?


エホバの証人は、最初に決めた教義に沿って、これは絶対的に誕生日ではないと結論を出してから、その理由を探しているような気がします。


皆さんはどう思われますか。