ある一定の条件下では、エホバの証人が家族の幸福に寄与した面もあると思う。
しかし、家族がそれによって分裂させられる、しかも本人はそのことに気づくことすらしていないケースがほとんどだ。
① 見た目のよさだけおしえた
まず初めに、家族の幸福とは、あるいは一致した絆とは、どこからうまれるのでしょうか。
例えば、ある奥さんAが、料理が完璧なまでに上手、いつも塵一つなく家の中を保っている、こどもに宿題をきちんとさせているとしましょう。
もう一人の奥さんBは、料理が下手、家もいつも散らかっている、こどもに宿題をきちんとさせていないとしましょう。
では、どちらの家庭が幸せでしょうか?どちらの夫婦がより一致しているでしょうか。
奥さんAは見た目は、完璧かもしれません。しかし、夫に対しての態度や、性格などのゆえに、夫婦仲がうまくいかないこともあり得ます。もし、その奥さんが、自分は立派にやってるんだから、自分にはもっと自由になる権利がある、とか、自分のほうがよくやっているという態度を持っているなら、なおさらだと思います。
逆に、奥さんBは、見た目は、ずぼらな奥さんかもしれません。でも、一生懸命、夫のため、こどものために、尽くしている態度は、夫はとてもうれしく思うかもしれません。一生懸命夫に合わせて努力している姿を見て、夫婦仲はもっと良くなるかもしれません。また、あまり完璧でないところが逆にかわいいと思うかもしれません。
つまり、夫婦仲というのは、単においしい食事を作ることではないのです。当たり前のことですよね。
しかし、1970年代、1980年代、1990年代初頭まで、エホバの証人、特に未信者の夫をもつ女性たちが急増しました。
夫が反対する中、自分と、子供たちを集会に行かせるために、それらの姉妹たちの司会者たちは、きちんと食事を作るように、家をきれいに保つように、子供たちに宿題をきちんとさせるように、と教えてきました。
つまり、夫に何か文句をいわせる理由をあたえないようにしてです。
しかし、本当の意味に、夫に「敬意」を払うように教えたでしょうか。
集会に行きたいのにたいし、家族の頭である夫が、反対するなら、それは大きな問題ではないでしょうか。
しかし、それらはすべて「サタン」であると片づけて、夫の意見は、全く無視するのです。
また週末に、集会や奉仕に行ってほしくないと言っても、いやがおうにも子供たちをつれて出ていきます。
夫が認めるようになるまで、「待つ」ということはないのです。
その時代、夫は、家に帰ってくる時間が少なく、こどもと過ごす時間も少なかったのは事実です。
しかし、その状況を利用して、夫のいない間に、子供たちを教え込み、家族の中で、夫だけを排斥者のように、追い込むように教えてきたのです。
では、きちんと食事をつくり、家をきれいに保ち、こどもに宿題をさせておけば、それでいいのでしょうか。それは本当に家族の一致、幸福に寄与しますか。
さらにもっと重大なことがあります。それは次回