2024年8月号のものみの塔(研究用)に関して、長老への手紙で以下のようなお知らせがありました。

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研究用「ものみの塔」2024年8月号:研究用「ものみの塔」2024年8月号の生産が遅れています。そのた め会衆は,2024年8月号の前に,「ものみの塔」2024年9月号と2024年10月号の印刷版を受け取る可能性があ ります。「ものみの塔」2024年8月号を10月に学ぶのに間に合わない会衆には,追加の指示をお知らせし ます。この情報を文書担当者にもお伝えください。

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いろいろな憶測を呼ぶ内容ですね。

私の個人的な憶測を書きたいと思います。


たくさんの疑問が生まれます。


疑問1:その内容は何なのか。

推測:排斥の取り決めに関する変更ではないか

ちなみに、組織は、こういった大きな変更があると、「調整」という言葉を使います。あたかも、微々たる変更、物事の程度の変更や、方向性は変わらないが若干のメンテナンスのように聞こえます。しかし、実際にやっていることは明らかに「変更」なので、私は「変更」という言葉を使います。


排斥の取り決めに関しては、以前から取り上げられていましたが、今年、2024年3月に「統治体の話(2)」の中で、排斥の取り決めの変更がありました。そして、その中で、この点に関しては、いずれ研究記事のいくつかで取り上げられると言われていたので、その内容が扱われる可能性が高いと思います。

ただ、今回の変更は、いろいろな事情があります。私の推測は、なぜ今の時期になって突然この変更が出てきたのかということを考えると、明らかに、ノルウェーでの裁判や、日本での報道などに影響されて、緩和したのだと考えます。つまり、この記事で扱われることが、今後改めて、世界中の国々の「法廷」で使われ、それに基づき争われることになります。それで、単に変更になった部分だけでなく、その他の部分に関しても、一字一句、原文の英語と翻訳される日本語や、ノルウェー語やすべての言語に関して、非常に厳しくチェックが必要になっているのだと思います。


さらに、排斥に関して、変更のない部分に関しても、おそらくなんらかの形で触れることでしょう。その部分に関して、家族や、子どもなどが排斥になったときにどう対応するかなどに関して、もし裁判や報道で伝えていることと違う内容を伝えたとすると、矛盾点、または虚偽として非難されることになるでしょう。


疑問2: なぜ9月号の内容を前倒しにして、8月号の内容を9月号、10月号にずらせないのか。

推測:なんらかの理由で、どうしても今奉仕年度中の記事として残したかったんでしょう。

今回は、単に印刷の遅れではなく、内容が出来上がってないようです。9月号の内容を前倒しにできないのには、おそらく記録として残される、日付を気にしているのだと思います。よく日本支部の使うてですが、長老への手紙に記載されている日付が、実際にそれが手に届く日付よりも、ずっと前にしてあることがあります。日付だけを見ると、あたかも、すでにずいぶん前から指示を出していたかのように扱いますが、実際には、届いた日付に初めてその指示を知ることになるのです。同じように、今回も、なんらかの理由で、なんとかして、今奉仕年度内の日付、つまり2024年8月までに出したかったんでしょう。そして、それをできるだけ早く研究記事として集会で扱わせたいんでしょう。あたかも、ずいぶん前からこういうふうになってましたと言わんばかりにしておきたいんでしょうね。


もし内容が上記の排斥に関する物であれば、この内容を周知させている、という体を早く作りたいのかもしれません。そう考えると、いわゆる「宗教虐待Q&A」を周知させているかという問題にも関係するのかなと思います。


ノルウェーでは、とりあえず裁判で、JWが敗訴という結果になって、まだ、JWは、控訴するような話を聞きました。日本では、宗教虐待に関連して、2024年5月ごろ、子ども家庭庁による調査の結果が報告され、さらに、調査を継続し、今後法整備を進めていくとしています。その法整備に向けて、早く「周知」や、排斥の取り決めの緩和を徹底させたいのかもしれません。

 

毎年、10月に行われる年次総会に関係しているという人もいます。その時までには、8月は出ていると思いますが、年次総会で扱う内容と、矛盾や、違いが出てしまって、内容を変更しているのかもしれません。



疑問3:今後の注目点

推測:内容、変更点、言葉遣い、一体統治体は何を気にしているか、そこから導き出される組織の弱点

内容が排斥の取り決めについてであると仮定して、以下の注目点があります。

1 排斥に関する取り決め

日本の国会で、加藤子ども家庭相が、確か5月ごろ、国会答弁で、エホバの証人の忌避問題について質問された際、彼女の返答の中で、活動を辞めた人を避けることはありません、と聞いていると答えていました。これは、明らかに、言葉のトリックで、排斥者のことについては、触れないために、誤魔化しているのです。この言葉を聞いた時に、排斥された辛い思いをしてきた人からすれば、怒りを感じることでしょう。


以下の記事では、こうありました。

https://www.jw.org/ja/エホバの証人/よくある質問/避けるか/

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バプテスマを受けてエホバの証人になったものの伝道をやめ,仲間との交友から遠のいている人たちを避けることはしません。むしろ,その人を訪ね,信仰を再び強めるよう励まします。

 

重大な罪を犯した人であっても,自動的に排斥されることはありません。とはいえ,バプテスマを受けたエホバの証人が聖書の道徳規準を破って悔い改めないなら,排斥されます。聖書は「その邪悪な人をあなた方の中から除きなさい」とはっきり述べています。―コリント第一 5:13

 

ある人が排斥されたものの,妻や子どもが引き続きエホバの証人である場合はどうでしょうか。宗教的な結びつきは変わりますが,家族としてのきずなは変わりません。結婚関係,家族の愛情やかかわりは続きます。

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ノルウェーの裁判や、オーストラリアの裁判でも、はっきりと、家族の中で「宗教の話はしなくなくるが、家族としての絆は変わらない」と言ってきました。しかし、実際は、家族としての絆を絶縁してきた人がほとんどです。もしそうだとすれば、JW組織は、なぜそれを注意してこなかったのでしょうか。


しかも、上記の記事は、研究記事ではなく、一般の人が見れる、ウェブサイトのみに扱われています。つまり、一般信者にはあまりわからないようにしているのです。メディアや政治家には、こう言っておいて、信者には、厳しく言っているのです。


それで、今回の記事は、信者も、メディア、裁判官、国会議員も見ることになるでしょう。どんな言葉遣いをするか注目しています。厳しい言葉遣いをすれば、メディアたちが騒ぐでしょう。かといって、ノルウェーやオーストラリアの裁判で言われた通りにすれば、信者は、「えっ、今までと違うじゃん」となるでしょう。これまで二枚舌を使っていたことがバレないよう、うまーく言葉を選ばなくてはいけないのです。


2 排斥者にどこまで声を変えて良いか

挨拶をしてはいけないという聖句は、背教者のみに適用すると変更になりました。(実際には、以前はそのような見解で、1980年あたりーレイモンドフランズの排斥ー以降から、これがすべての排斥者に適用されるとなりました。なので、戻ったわけです。)しかし、食事をしたり、深い話し合いをしてはいけないことになっています。でも、集会に誘ってもいいのです。

では、

避けるべき深い話し合いとは何か。またその聖書的根拠は?

集会に誘ってもいいのなら、集会に誘うまでの前振りとして、1時間、2時間話してもいいのか?

食事はダメだが、お茶はいいのか?

背教者には挨拶をしてはいけないことになっているが、誰が排斥者で誰が背教者を判断するのは、各自で決めていいのか?

私の予想では、うまく誤魔化してはっきりと書かないでしょう。そして後で問題が起きた時に対応すればいいとするのでしょう。



3 今後のJW組織の方向性

おそらくこの記事から、透けて見えてくるのが、組織が何を気にしているか、法的な責任をどう回避しようとしているかが見えてくるでしょう。それも注目点の一つです。


もし今回の記事が本当に、排斥に関係する物であれば、信者だけでなく、メディア、反対者全てが非常に注目することになるでしょう。楽しみですね。