うつ病は心の風邪と言われています。風邪を引けば、医者に行くように、うつ病になれば、医者に行くのは当然です。
 
しかし、うつ病など心の病気に関しては、なかなかハードルが高いのです。実際に、自分は、大丈夫だと言い聞かせて居たり、メンタルクリニックへ行くこと自体に抵抗を感じたりします。
 
エホバの証人もそこまでは同じです。ただ、それ以上に、メンタルクリニックに行くことが難しいのです。
 
 

つまづかせてはいけない

エホバの証人は、基本的にエホバの証人以外の人には、(特に自分がエホバの証人だと知られている人には)、ものすごくよいふるまいをします。実際に、どういう人かにかかわらず、表面は繕います。どんな状況においても「いい人」でなくてはいけないのです。それは、エホバの証人のことを悪く言われないためであり、よくひとを「つまづかせてはいけない」という言い方をします。
さらに、エホバの証人の活動に関して、絶対的に悪く言ってはいけないのです。例えば、集会にいきたくないな、割り当てがあるからやだな、奉仕に行って、知らない人と話すのやだな、牧羊訪問うけたくないなとか、実際に、感じることではあります。エホバの証人同士では、まあ、心知れた人であれば、言ってもいいですが、エホバの証人以外の人には、絶対に言ってはいけないのです。「つまずかせる」ことになる、良い証言にならないなどと言われます。
 
メンタルクリニックに行って、集会や奉仕がストレスだと言えない
そこで問題になるのが、うつ病にかかったとき。うつ病(あるいはその兆候のある)の人が、病院に行くこと自体とてもハードルがたかいですが、エホバの証人には、もっと難しくなります。
カウンセリングなどで、どんな生活をしているか、を聞かれることになりなす。
まず、自分がエホバの証人だといいたくない、エホバの証人がうつになってるの?と思われて、つまずかせるんじゃないかというもの。
さらに、集会や奉仕をしていると言いたくない、というかいつもそういうの恥ずかしく思っている人が多いから、言いたくないというのもあります。
そして、さらに、実は、集会や奉仕がストレスになっているとは、絶対に言えない、と思うからです。
そんな状況にあいたくないから、結局医者にいきたくないと思ってしまうのです。
 
集会や奉仕をすとっぷしろと言われても、休めない
わたしが聞いたケースでは、集会や奉仕をいったんストップしなさいと、医者から言われることがあったそうです。実際に、体もボロボロになっていたので、何もかもストップするのは、当然だと思います。
しかし、集会を休む、奉仕をやすむことは、とてもできない状況です。
2世の場合は、親から集会に行くように言われます。さらに、集会をしばらく休むと、長老たちが来て、何とか集会にこれないか、(彼らの言うところの)「励ましに」来ます。
ひどいケースでは、そういった医者の指示を、サタンの策略だとほのめかしてくることもあります。また、エホバの備えを軽視するなんて不敬だといわれるかもしれません。集会がストレスになるはずがないと言ってきます。
 
仕事がストレスになっている人は、一旦仕事をやめるのは悪いことではないですし、周りも圧力をかけないようにしますが、エホバの証人の集会に関しては、しばらく集会を休んでいると集会に来るように必ず言われます。
 
結局隠しているから、カウンセリングの意味がない
集会そのものでなかったとしても、会衆内のいざこざ、競争、圧力などなどが影響していることがあったとしても、それを人に言えません。まず、相手も理解できませんし、言うと、「エホバの証人内にそんなことがあるの?」とつまずかせることになります。
結局、本当のこと、正直な気持ち、実際のライフスタイルについては、隠すしかないのです。結局隠すから、本当の意味で、心の病に向き合って、生活を変えていくことができないのです。
結局、自分自身の状況を変えるのではなく、薬に頼ざるをえなくなり、病気も継続していくことになりがちになります。
 
対処が遅くなる
もちろん、メンタルクリニックにいくことだけが、心の病への対処法ではありません。一番いいのは、自分の心の状況をよく知って、自分がおかしいと思ったら、早い段階で、自分でできることをする。例えば、
信頼できる人に相談する、
仕事を変える、
趣味を始める、
旅行に行く、
引っ越す
などがあります。(もちろんこれだけではないですし、これをすれば必ずよくなるというわけでもありません。)
 
しかしエホバの証人の場合は、
信頼できる人に相談するー家族や親族とは関係が薄い、職場では友達がいない、会衆内では、自分のネガティブトークを聞いてくれる人は少ない
仕事を変えるーお金がないから、簡単にできない
趣味を始めるーお金も時間もない。あまり趣味をやっていると長老から助言される。
旅行に行くーお金も時間もない、集会や奉仕を休むと助言される。海外旅行などは、周りから疎まれる。
引っ越すーお金がない、それに、引っ越ししても、自分の紹介状が新たな会衆に送られ、同じ生活をすることになる。
 
自分の心が弱っているときに、自分での対処がなかなかできません。
さらに、集会や奉仕をしばらくやすむというオプションはありません
 
わたしが何人も見たケースがですが、完全に燃え尽きになったり、非常に重症になって初めて、集会や奉仕を制限したり、生活を変えたりします。
 
結果論ではありますが、もっと早い段階からすべきだったのです。
心を豊かにすべき、聖書の勉強なのに、非常に重くなるまで、だれもなにもいわなかったのかと思うと、残念にも感じます。
 
わたしの見方
わたしが何か意見をいうのは、本当に僭越だと思いますし、実際に間違っているかもしれませんが、私の気持ちを整理するためにかきたいと思いますので、無視していただいても結構です。
 
心の病は、本当につらいです。そして、その状況を今経験している人は、本当によく頑張っていると思います。まずは、自分をほめてください。
 
エホバの証人をしていると、特に2世だと、自分の感情を無視するように教えられます。自分がどう感じるか、ではなく、出版物にどう書かれているかが先にきます。そして、それがあなたの感情なんだと教え込まれます。
それで、まず、自分の感情に、よーく、敏感に耳を傾けてください。これは、感情を無視してきた人にとって、とても難しく、トレーニングが必要です。
簡単な日記をつけるのも有効です。
「何があったか」、「自分がどう感じたか」だけをシンプルに書いていくだけでもいいと思います。
いわゆる「認知行動療法」の簡易版のようなものです。
 
そして、自分がしていることが本当に必要かを改めて考えて、書き出してみてください。
仕事ー本当にこの仕事でいいのか、
集会ー実はストレスを感じていないか
奉仕ーストレスを感じていないか
開拓奉仕ー本当に必要か、ただのラベルが欲しいだけか

 

こうした訓練から、少しずつ自分にとって何がストレスになっているのか見極める助けになるのかと思います。

単に集会がやだ、ではなく、集会の何がストレスなのかがわかるといいですね。割り当て、人と会うこと、コメント、コメントをしろという圧力、あのおばさん姉妹がいろいろとぷらいべーとなことを聞いてくること、競争心をかんじること、長老たちが次の目標は何かと聞いてくること、などなど、具体的に書いていくといいかもしれないです。

 

歯止めをかける

雰囲気に飲み込まれて、ついついやってしまって、知らないうちに自分にストレスをかけることもあります。例えば、開拓奉仕をするように励まされ、みんなやっている、というと、自分もやらなきゃと思います。申し込みますが、毎月毎月、奉仕が本当にストレスになってきたりします。では、最初っから、開拓奉仕はしない、あるいは、それを励まされるような場所にはいかないと決めてしまいましょう。

 

長老になると、競争社会になり、できるだけ、いい立場を得ようとしますし、そうしようとしている兄弟たちを見て義憤を感じ、結果ストレスを感じたりします。では、最初っから長老にならなければいいのです。

 

それで、自分の中で、能力的また、時間的な余裕があったとしても、これはやらないという、歯止めとなる基準を決めるのは大切ですよね。

 

 

JW2世のみなさん、はっきり言います。JWは、一生懸命集会行って、コメントして、開拓奉仕するように言います。あたかも、そうしてれば、他に何にも問題が起きないかのように。でも、そうしてて、うつ病になっても、誰も助けてくれません

自分で、対処するしかないのです。決して、雰囲気にのって、頑張ってしまわないように気を付けてください。