突然ですが、ぶっちゃけた話って必要ですよね。精神衛生上、ぶっちゃけトークができないとイライラしてきます。
必ずしも解決策がなくても、学校や会社の不満、家族の不満も、本人に言うのではなく、直接関係のない友達とかに、ぶっちゃけて、怒りや、寂しさを表すことって必要ですよね。
さらに、タブーとされている話題も、大切な情報ということもありますよね。通常話はしませんが、関心があったり、実際にしるひつようのあることもありますよね。例えば、夫婦関係においてあまりセックスがうまくできなかったり、セックスレスになったらどうしたらいいの、そう言うこと考えること自体おかしいのなどなど。
その他に、今更かもしれないけど、そもそもなんで、、、ということや、素朴な疑問とか、疑念とかも。
いろんなぶっちゃけた話あると思いますが、実際ぶっちゃけた話ができない関係は、表面的な人間関係ではないでしょうか。ぶっちゃけトークがどれだけできるかが、人間関係に深さだと思います。
逆に、ぶっちゃけトークが一切できないとすれば、浅い人間関係しか持てず、人として、虚無感を感じます。精神衛生上良くないですよね。
 
エホバの証人は、ぶっちゃけトークができない環境にあり、表面的な人間関係しか気づけず、イライラを増幅させます。精神的によくないと思います。
 

統治体は、信者にぶっちゃけトークをさせないようにしてきた

 
そもそも疑問や疑念を持ってはいけない
JWの人であっても、新しい見解や、やり方、また、特に会衆の取り決めに関して、「ぶっちゃけ、ちょっとおかしくない?」と思うことはあるはずです。しかし、なので統治体からの指示は、エホバからの指示、そんなふうに思ってはいけないのです。そんなふうに思って、それを口に出すようになると、助言され、ひどい場合は、中傷や背教などを理由に排斥になりうる行為となります。どんなことであっても、本当に素晴らしい、愛を感じる、感謝ですね、エホバだわ、と言わなければいけないのです。最近の例だと、開拓者の要求時間が、30時間に変わって、エホバの優しさや愛を感じるとかいうコメントがありましたけど、じゃあ、そもそもなんで、開拓者の要求時間を1時間にしないの?とか普通思いますよね。でも、そういうことは言っちゃいけないんです。
 
きれいごとしか語らない
エホバの証人の裁判で勝訴は語りますが、敗訴や都合に悪いことは書きません。報道で伝えることは、フェイクや歪曲が含まれているから、すべてを信じるなといいますが、じゃあエホバの証人の問題についての報道は、どこが間違っているのか、それは何にも答えません。エホバの証人は児童虐待を憎悪すると言いましたが、厚生労働省の言う宗教虐待にはエホバの証人の行ないは該当しないの?それには答えません。お金は、重要ではないと言いますが、では、お金はどれくらい必要ですか、年金は払う必要ありますか、保険は?どれくらいの暮らしを求めるべきなの?どんな状況でも開拓奉仕をすることはいいことと言っていながら、どんな状況なら全日で働いてもいいの?全日で働いていること自体が悪いの?そういった話はしません。統治体がエホバの経路だと教えますが、不完全で間違いをすると言います。じゃあ、どんな間違いをしたのか、それは語りません。マスターベーションは良くない、と書きますが、じゃあ、一度もしてはいけないのか、どれくらいなら許容範囲なのか、は書きません。
きれいごとは言いますが、実際どうなのという点については、一切語りません。
 
そのことを話す、思うこと自体に罪悪感をもたせる
上記に述べたようにそのような疑問や疑念を口に出すと、助言されたりします。そういう疑念などを持つと、単に信仰が足りない、個人研究が足りないと言われます。自分以外にJWの誰一人そう感じている人は、いないのだと思うようになります。自分には、個人研究が足りなくて、他のみんなは個人研究して全部疑問がなくなっているんだお感じます。結果、自分自身に劣等感や、罪悪感を持つようになります。私自身、若い頃、何度か長老に質問しましたが、よくわからない答えで、結局自分で調べろという結論だったと思います。さらに集会では、模範的な注解しかなく、つまり組織を賞賛するコメントしかなく、自分だけが、何か違和感を感じ、それは口に出してはいけない、恐ろしいことを自分は考えている、と思うようになります。
しかし、実際には、裸の王様が、裸で歩いていることに違和感を感じているだけなのです。
 
過去の失敗を笑って話せない
ドラマとかで、失敗してしまった後輩を、一杯飲みながら、先輩が慰める場面があります、「俺なんかこんな失敗もしたぞ。クヨクヨすんな」みたいな。しくじり先生というバラエティ番組もありましたね。正直、人の失敗って聞きやすく、勉強になり、励まされます。過去の失敗を笑って他人に話せるくらいになると、人生のすいもあまいもわかっている、円熟したものの見方ができるようになり、失敗を笑って語っている人を見て、それを聞く人も自分の人生を大きな目で見れるようになります。
しかし、エホバの証人の間では、基本的に失敗を語りません。というか、失敗を笑ってはいけないのです。「大丈夫だよ、失敗なんて誰にでもある。気にすんな。」なんて言ってはいけないのです。成功は、鼻たかだかに語りますが、失敗は悲惨なものだと、失敗は非常に惨めで、ダメな人間なんだと感じなくてはいけないという印象を与えます。失敗は、回避できたはず、失敗は愚かなものがするもの、失敗は永遠の滅びに繋がるかもしれないという話をいつも聞かされます。つまり、失敗なんて気にすんなではなく、失敗は気にしろ、と教えているのです。
さらに、大きな失敗は長老に告白しなければならす、小さな失敗であっても、それを笑って話したりすれば、助長していると取られ、助言の対象になるかもしれないのです。
 
 
タブーでも、大切なことは、知ることができない
夫婦の間のセックスレスやセックスがうまくできない場合、どこにいけばいいんですか。そう言うこと誰かに相談してもいいんですか。みなさんどれくらいしているんですか。
マスターベーションはいけない、それを克服するように教えていますが、みなさんどうやって克服しているんですか。本当にしていないんですか。マスターベーションで排斥されないはずですが、じゃあ、週一くらいならいいの?それとも絶対にしちゃダメなの?
もちろん、こういう話題はエホバの証人でない方も普通に話すわけではありませんが、JWでない方は、それが重要な問題となった場合は、そういう方面のクリニックに行くこともできます。しかし、エホバに証人は、セックスやマスターベーションに関して、厳しい見方をしており、世の考えの影響をうけるなと言っている以上、こういう疑問に答えるべきです。夫婦間の問題や若者にとって必要な大切な情報です。
しかし、JW内では、こういう話題は一切されず、そう言った記事もありません。あたかもそうした問題は全く存在しないかのようです。
 
 
ぶつける場所がない
以前は、「目ざめよ!」に「読者からの質問」とか「読者の声」というコーナーがあり、実際はどうか知りませんが、読者から寄せられた質問に答える記事がありましたが、もうとっくの昔になくなりました。教理に関して疑問などは、どこにぶつければいいのでしょうか? エホバを待つように、つまりいつかエホバが理解させてくださるということしか言いません。少なくとも、どこかに質問できるようにしてもいいのではないでしょうか?会衆内の不満や、実際に長老や巡回監督から傷つけられた場合、どこにいえばいいのでしょうか。仮に、ある長老が話を聞いてくれたとしても結論はエホバを待つようにとしか言ってくれません。
 
不満を言うと背教になる
すでに書きましたが、組織の不満や、疑問を言い続けても、誰もそれを解決しようと努力してくれないどころか、助言され、最終的には背教者として排斥されます。つまり、怖くて誰も何もいえないのです。
 
 

精神的健康を保つにはぶっちゃけトークは必要

だと私は思います。そういう話ができず、きれいごとをだけを語っている人したら、極端な言い方ですが、偽善者だと思います。しかし、エホバの証人の2世の、特に、エリート、いい子として育った人は、そういうぶっちゃけトークができなくて育ってきたと思います。そういう人は、1,人のの感情を理解できない、ロボットのような人になる、2,JWから離れて、別のところにそれを見出す。3,裏表の生活をし、会衆内ではいい顔をし、裏でAVを見たり、自分の欲求を満たすようになると思います。
 
もちろん、ぶっちゃけた話は、TPOをわきまえる、さらに誰に話すかをわきまえるのは必要だと思いますが、それでも、ぶっちゃけた話がどこにもできない、しかも怖くてできないというのは、精神的に良くないはずです。
 
エホバの証人は、生活のすべてを専心するように要求してきます。つまり、エホバの証人以外、さらに言うと、自分の交わっている会衆以外に社会的交流はないのです。エホバの証人はどこにもはけ口がないのです。仕事のことなら、家庭や、友人と話をしたり、スポーツや趣味、SNSを通して他の交流をもてます。エホバの証人はそれがないのです。さらに、JW2世はそれを親によって閉ざされてきたので、気づいて中年になったころに、自分の周りには何もないことに気づきます
 
最近では、宗教2世に特化した、コミュニティが、できてきているようですね。(私はまだ現役JWですが、)そういう場所を提供している人たちは、本当に素晴らしいと思います。
ぶっちゃけた話できるところをさがしましょう。