学校や職場でにいじめにあった時、皆さんはどう対処しますか。
先生に言う。
友達に話す。
学校や職場をやめる。
警察に言う。
裁判を起こす。
 
そのすべてができなかったらどうしますか?しかも、誰に話しても、いじめなんてないよ、と言われたらどう思いますか?
自分がおかしいと思うだけしかなくなり、精神的におかしくなるのは普通のことでしょう。いじめは人を自死への追い込むことのできる、非常に罪深い行為です。
 
エホバの証人の組織内で、いじめはありますか?暴力や、目に見える形でのいじめはありません。しかし、目に見えない形でのいじめ、パワハラ、モラハラ、はたくさんあります。それによって傷ついてきた人がたくさんいることを、多くのJW、元、現役の方も認められることでしょう。
 
ケース1 長老の奥さんによるもの
長老の、特に調整者の奥さんが、会衆の姉妹たちや、新しく入ってきた人をの間で、自分に同意する人と仲良くし、そうでない人と仲良くしないことによって、時には、明らかに挨拶しないなどによって、いじめることがあります。派閥のようなものができてきます。
 
ケース2 兄弟たちの間での権力闘争
長老たちが、自分ができるだけ用いられたいために、巡回監督の前でアピールします。自分のライバルのような存在には親しくしません。さらに、長老が自分の好きな兄弟には、特権(立場)を与え、そうでない人にはなかなか立場を与えません。結果的に用いられない兄弟はいじめられていると感じます。
 
ケース3
長老が自分の息子が会衆内、大会などで目立つ立場を得られるよう巡回監督にアピールします。そのアピールに沿うような、研究性などには、熱心に援助します。逆に、自分の息子と同年代の兄弟つまりライバルのような存在に兄弟には、立場をあたえようとしません。その兄弟に対して、その長老は、冷たい態度をとることがあります。
 
ケース4 注解(コメント)によって
自分の嫌いな人がしていることを直接触れませんが、注解を聞いた人がその人のことだとわかるような言い回しで、その人を咎めるような注解をします。実際には、会衆全員が同意しているわけではありませんが、みんなの前で言いますし、司会者も「はい、そうですね」と言いますので、自分のことを言われていると感じている人は、みんなそう思っているんだと落ち込むことになります。
 
ケース4 世俗の仕事のイライラを持ち込む
人によっては、同じ会衆内のある兄弟のもとで、別の兄弟がl雇われて働いていることもあります。しかし、雇われ側は改修内では、長老だったりします。すると、その長老は、その雇い主を会衆内ではあまり用いなかったり、他の人と違うたいぐうをします。さらに、その雇い主の子どもも用いないこともあります。
 
その他のケース
男女のジェラシーによるいじめなどもあります。
 
もちろん、会社や学校などの組織でもいじめはあります。エホバの証人のいじめは、暴力や、あからさまないじめではありません。ただ、エホバの証人のいじめは、被害者にとっては、深刻な場合があるのです。それは最初に述べたように、被害者が自分で一人で耐えるようにとしか教えていないからです。
 

なぜいじめが存在するのか

 
「霊的パラダイス」と言わなくてはいけない
エホバの証人の組織は愛に満ちていて、この世(非JW)ではありえない素晴らしいもの、としています。確かに、人格的に立派な人もいます。しかし、組織としては、この組織の中にいじめやモラハラなど、基本的にない、何かあってもちょっとした勘違い、不完全さ、個性の違いなだけだ、としています。つまり、誰かがいじめられていて、辛いと感じて、それを誰かに話しても、おそらく、それはあなたの考えすぎ、とか、個性の違い、と言う程度で嗜められてしまうのです。
 
いじめる側は、絶対的権力者
いじめる側は、長老であったり、長老の奥さんであったり、たくさん注解する人だったり、大会などで経験を語る人だったりします。そういう人は、周りの人が必ず擁護し、いじめの被害者の話は聞きません。エホバの証人内でのそういった権力は、ある意味絶対的です。よくあるケースは、大会でよく用いられる話し手の兄弟は、地元の会衆では性格が悪く人を傷つけることもよくあります。でも、その人はその権力があるので、咎められることはありません。また、そういう人たちは、会衆内でもてはやされるため、いじめられている側は自分がわるいとしか思えなくなります。
 
いじめを訴える場所がない
いじめられていると感じて、長老に話しても、長老たちは、話は聞くかもしれませんが、解決することはありません。勘違いかもしれない、個性の違いがあっても仲良くやらなくてはいけないとl言う程度です。あるいは、自分でその相手と話し合って解決するようにと言うかもしれませんが、エホバの証人のいじめは非常にいやらしい目に見えない仕方でするので、本人は認めないか、「あら、ごめんなさい」程度であしらわれ、訴えた側は、肩透かしに合います。
 
ネガティブな話をするなと言われている
ものみの塔や大会などで、常に長老や組織の悪口を言ってはならないと教えられています。しかも、あまりにもそう言うことを言うと中傷や背教として、排斥されかねません。長老からいじめにあっている人などが、別の姉妹にその話をすると、そう言う話をしないでと怒られることもありますし、そう言う話をしていたと言うことを、長老の言って、さらにその人が悪い立場になることがあります。
 
二次的ないじめ
直接悪いことをするいじめっ子がいじめているのを見ながら、それをとめない、いじめられている人を助けたり、慰めたりしないと言うのもいじめです。会衆内でいじめがあったとしても、そのいじめる側が長老だったりすると、それを見ないふりするか、もし聞かれても、「きっと勘違いでしょ」って言う人がほとんどです。つまり、二次的ないじめを許容と言うより、組織として推進していると言ってもいいでしょう。
 
最悪なケース
実際に海外では大きく報道されていますが、いじめのさいたるケースとして、未成年の女の子に性的虐待をした上、その子が訴えても、長老たちによってごまかされることがおきています。日本では、最近の報道などで、性的虐待を受けた人がいると報道されています。実際に組織としてそれを隠蔽しようとしたかどうかはわかりませんが、少なくとも長老の権力や、周りの雰囲気でそんなことを訴えること自体できない状況だったと思います。
 
排斥=集団でその人をしかと=は完全にいじめ
学校で悪い子がいたからと言って、その子をみんなでいじめていいわけではありません。エホバの証人の間では、排斥者、つまりエホバの証人の言う重大な悪行を犯し、悔い改めない人は排斥されます。そして、みんなから完全に無視されます。家族であっても、一緒に食事すらしてはいけないのです。エホバの証人的には、その人が悔い改めるようにとの、愛の取り決めなのです。しかし、よく考えてみると、「いじめ」の構造は、個人vs個人ではなく、個人vs集団というものです。個人には絶対に勝てっこないのです。排斥は、まさにいじめの構造。排斥者が、どんな気持ちであろうと、その人の言い分がどんなものであろうと、集団で無視するのです。さらに、排斥者と仲良くすると、自分も排斥される可能性があります。つまり、いじめっ子を助けると、自分もいじめられる側になるという、いじめの構造そのものです。もちろん、エホバの証人は、これをいじめとは言いません。「愛の取り決め」です。しかし、こういう構造を持っていること自体、信者に対して、エホバの証人の基準にそぐわない人には、いじめても構わない、それが愛なんだ、というメッセージを信者たちに伝えています。つまり、排斥にならないとしても、エホバの証人の基準と違う場合、冷たくしても構わないと思うのです。この記事では、排斥されなくてもいじめはあるということがメインテーマなため、排斥に関しては、深掘りはしません。
 
 

歴史的背景

これは私の分析です。1980年代初めに、統治体の成員であった、レイモンドフランズとそれに追随して何人もが背教し、排斥になりました。それまで排斥者に挨拶をすることは許されていましたが、そに時以降、排斥者に挨拶すらしてはならないと変わりました。レイモンドフランズが自分の知っていることを暴露した本も出版されましたが、背教者と関わる人は、その人も排斥されることになります。組織として、この組織を守るための方法として選んだのは、批判を受け入れ、間違いを真摯に正す、もしくはその批判にきちんと答弁するというのではなく、批判する人を排斥するという方法をとったようです。上記のケースは、極端なケースですが、会衆内においても基本的に同じ方針をとっています。いじめや、長老のパワハラなどがあっても、聖なる力によって任命された長老を批判するのはどういうことかとなります。組織のネガティブな話はしないようにと教えられています。同じことが起きているのです。
 

どうしたら良いか

いじめがあることを認める
自分がいじめられたにであれば、それを認めましょう。自分の考え方が狭いから、とか、自分が能力がないからという考えは間違いです。組織に問題があると、おもわせないようにしていますが、不完全な人間ですから、当然そういうこともあるのです。
 
誰かに話す
もし現役の方であれば、可能であれば、そう言うぶっちゃけた話をできる友達を見つけられるといいですね。長老などに訴えて、問題を解決しようとすると、自分が疲れるだけなので、期待しないでください。元JWの方は、離れた今も、以前のいじめの傷があるかもしれませんが、SNSを含め、理解できる人がいるといいですね。最近は宗教2世というジャンルで相談できるところもあるようですね。
 
ひどいケースは警察や法務局へ
性的な被害、セクハラ、などは犯罪です。それは警察に報告しましょう。ものみの塔にも書かれている点ですが、警察に通報する前に、長老に許可を求める必要はありません。また人権侵害に相当する場合は、法務局に相談することもできます。また、無料の弁護士相談ができるところもあります。
 
自分がイキイキできる場所を見つける
いじめられている場合、その環境にいなくちゃいけないと感じて、逃げ場がないとl感じることが非常に危険です。自殺願望が出てくることもあります。現役の人も、自分の趣味や、スポーツ、好きな仕事や、交友を探して、自分がイキイキできる場所を探しましょう。