競争社会を大変でも勝ち抜いている時は、つらくても、満足感があります。しかし、競争社会で負けてしまうとき、また負け続けている時、しかも自分をまわりがただしく理解してもらえていなかったり、自分の今までの功績をだれも評価してくれなかったり、しかもその競争社会から全く抜け出せなかったりすると、非常につらくなります。うつ病になってもおかしくありません。
 
エホバの証人は、そのような組織です。
表面上は、上下関係はないですよと謡っていますが、中身は違います。これは、多分研究生や、若いJW,新しい人にはわからないと思います。
 
エホバの証人は、「特権」という言葉が大好きです。でも、これは、「高い地位」のいわば隠語のようなものです。信者たちに、謙遜であれと教えながら、「特権」をとらえるように勧めてます。「地位」とは言いません。しかし実際には、「高い地位」「権力」を得るよう勧めているのです。
 
私自身、自分がJW的には比較的エリートのほうだったのかなと思います。自分がいろいろといわゆる特権をもらっていたときは、そんなこと考えていませんでした。しかし、だんだんと年を取ってくるにつれて、確かにJW内に、上下関係があり、それをみんながねらっており、その競争から外れると、ちょっと浮いた存在になることに気づきました。
 
結論から言いますが、もし、あなたがJWをつづけたいなら、その浮いた状態が一番いいということです。
 

どのように上下関係をつくっているか

 
役職名をつける
補助開拓者、正規開拓奉仕者、特別開拓者、一時特別開拓奉仕者、宣教者、援助奉仕者、長老、調整者、書記、奉仕監督、(大会の)部門監督、大会監督、大会調整者、宿舎部門監督、補佐、巡回監督、巡回監督代理、専属奉仕者、コミューターベテル奉仕者、テンポラリーベテル奉仕者、リモートベテル奉仕者、建設サーバント、HLCなどなど、たくさんの役職名があります。そして、その役職名は、自己紹介などの際に、肩書として、紹介されます。そして、実際、その肩書の種類に応じて、組織の待遇も違いますし、結果的に、成員たちの待遇もそれに合わせて違ってきます。
 
補助開拓者は、巡回区レベルの開拓者の集まりには参加できません。また、特別開拓者と、一時特別開拓者では、待遇が違います。特別開拓者と、宣教者では、似たようなことをしていますが、待遇が違ってきます。
 
さらに、上の位のひとは、大会などの、割り当てをもらう確率が高くなります。さらに、その大会の紹介で、その肩書も紹介されます。
 
つまり、その中にいる人も、また外から見ている一般信者から見ても、この人のほうが、あの人よりも上なんだ、ということがわかってくるのです。
 
みんなでもてはやすことによって
集会大会で、上のランクの人は、目立つ立場を与えられます。結果として、権力も 与えられます。さらに、みんなで、それをもてはやして、「すばらしい!」とほめたたえます。そうした人の経験が語り継がれます。さらに、あの人は、24歳で長老になったとか、○○歳で調整者やってるとか、いわば、競争心をあおる内容を次々とかたり、集会や大会でそれを言うのです。つまり、同じ長老でも、誰がうえで、誰がしたか、というのが出てくるのです。
 
JW2世は、熾烈な競争社会に生まれながらに放り込まれる
「あの子は、5歳で割り当てを果たしている」、「あの子は、3年生で伝道者になった。」「あの子は、6年生でバプテスマをうけた」という話が、プログラムで語られ、長老たちがかたり、結果みんなでそれをたたえることになります。つまり、「それ以外」の部類になった人たちは、焦りを感じたり、自分は劣っている、ことになるのです。
 
問題点は、まず親が、焦りを感じること。親が、あの子はもう伝道者なんだから、うちのこもやらせなきゃとか、模範的でないといけないから、とプレッシャーを感じ、一番大切な子ども自身の、考えや感情は、顧みないということです。つまり、子供がこの競争社会のストレスを感じても、親は、助けるのではなく、ストレスを与える側になっているのです。その子供自身が信仰があるかないかではなく、その競争で先を行っていれば、つまり、割り当てをはたす、注解をすると言った形式としての目に見える役割をはたしていれば親は安心するのです。
 
問題点の2番目は、逃げ道がないということです。生きるか死ぬか、といわれ、もしうまくいかなければ滅ぼされるといわれます。子供自身も親もプレッシャーを感じるのは当然です。さらに、会衆の外、つまり、エホバの証人でない人の友達はいないのです。学校であれば、勉強ができなくても、クラブ活動や、趣味仲間の中で自分の居場所を見つけられますが、エホバの証人はほかに居場所を見つけられません。
 
JW2世は、自分が競争社会に生きていることを知りません。ストレスに感じても、それは間違ったことであると教えられます。
 
 
目に見えない競争
大人になっても、たくさんの競争があります。長老になるというのも、年齢で比較されたりしており、もしある程度の年齢なのに長老になれないと非常につらく感じます。また、長老になったらなったで、目立つ「特権」を得られるよう、競争がはじまります。巡回監督にアピールします。
 
大会での割り当てでもランクがあります。ステージ係、音響係は、重要な仕事なので、そういった仕事は、エリートが選ばれます。ステージにも出てきますし、ステージ横にいる、巡回監督と接する機会も増えるので、アピールできるのです。もし、ずっと駐車場係をしてる人なら、エリート街道から外れることになります。
 
謙遜なふりをしながら、そういった立場は、のどから手が出るほど欲しいのです。長老たちの間にいると、それがひしひしと伝わってきます。本当に嫌です。
記念式の割り当てを決めるとき、兄弟たちは、ものすごく気を使います。記念式の話し手、最初の視界、葡萄酒のいのり、パンのいのりの順番で、誰が偉いか決まります。また、それ以外でも、案内係は姉妹たちの前で目立つので、ランクが上になります。意外と、記念式のステージと音響はあまりやることがないので、結構下っ端の兄弟たちにやらせます。
 
JW2世の兄弟たちは、小さいときから、演壇で話す人や、目立つ立場で奉仕する人をあこがれて育ってきました。実際親も会衆の長老たちも他の成員も、それを目指すように勧めるのです。なので、自分もそれを何とかてにいれようと努力するのです。結果的に、その競争社会で人を蹴落とし、自分が良い立場を得られるよう必死になるのです。
 
実は、エリート街道ではない、HLC
番外ですが、HLCの兄弟たちはえらいと思いがちですが、HLCはあまりみんなの前で目立つ仕事をすることがおおくありません。また、HLCでどんなにがんばっていても、医療委員会として、さらに上の地位、例えば、特別開拓者、とか、ベテル奉仕者になるということはありません。なので、兄弟たちは、HLCに最初なったときは、喜ぶのですが、しばらくすると、他の仕事をしたくなります。もし、巡回区の仕事などが忙しくなると、HLCを辞める人もいます。一般信者は、HLCの兄弟たちを、医療関係の知識のある人だと思い込んでいる人が多いようですが、HLCの兄弟たちはそうした知識はなく、人づてに聞いたレベルですし、実際、医療関係者でない人が医療関係者であるかのように何かをいうなら、責任問題が生じます。
 
姉妹たちの争い
姉妹たちは、あまり目立った地位はないと思っている人もいますが、会衆内では、長老の妻、特に調整者の妻が、身分が高くなります。大概の会衆では、調整者の妻は、会衆の成員の個人的な事情に精通しておこうとして、いろいろと探りを入れてきます。さらに、調整者の妻は、転入してくる研究生の情報を、調整者が最初に受け取るため、その研究生が女性の場合、調整者の妻にわたすことが多いです。不幸兵器周りないですが。研究生がなかなか見つからないこの時勢に、研究生をいつもたくさんもつことができるので、結果的にみんなからちやほやされることになります。
 
また、日本においては、兄弟の数が少ないため、結婚できない姉妹たちも大勢います。結婚している姉妹たちは、自分たちはよく頑張っているから、結婚できているというアピールをします。
 
また、長老の妻の中には、自分の夫にもっと目立った勤めを与えさせたくて、必死になる人も大勢います。巡回監督へのアピールにものすごく必死になったりします。別の兄弟が、大会での話の割り当てがあるのに、自分の夫に割り当てがなかったりすると露骨に嫌な気持ちを表す姉妹もいます。
 
これまで見てきたようにエホバの証人社会は、上下の地位がはっきりしています。そして、JWの親も、会衆の成員全ても、より上の地位を骨たたえ、またそれをとらえるよう若者たちにプレッシャーを与えます。その地位を得られた一部の人たちは、気持ちがいいですが、そうでない人たちは、謙遜に仕えることになります。その競争社会の熾烈さについていけない場合、JWとして、ちゃらんぽらんと生きるか、うつ病になるかとなってくるのです。
 
 
 
 

競争社会にはNOと言おう

「安心してください」競争社会はなくなります。
ここでは深くは触れませんが、日本のエホバの証人の高齢化、少子化がものすごく進んでいるため、恐らくこの5年くらいで、かなり人数が減少するのではないかと思います。そうなれば、競争社会はなくなり、だれでも望めば地位を持てるようになります。さらに、開拓者の基準を下げているので、そのうちやる人もいなくなるのではないかと思います。なので、競争はなくなるのではないかと思います。
 
自分の競争意識、そのストレスに気づいて!
特に、JW2世として育つと、競争意識が植え付けられていることに気づいていません。周りを常に意識して育ってくるのです。まずは、競争意識を持っていることに気づきましょう。そして、そこから来るストレスに気づきましょう。
 
競争のレールからはずれよう
まず、競争のレールにいる限り、競争意識は捨てられません。もし、自分が競争意識を持ってしまうようなら、あえて、そこから抜けましょう。つまり、開拓をやめる、長老、援助奉仕者をおりる、会衆の勤めをことわる、奉仕にでないなどです。もし周りから何か聞かれた、うつ病だと言ってください。うつ病だというとまわりは何も言わなくなります。ある意味、エホバの証人は、あなたが精神的に元気であろうとして、自分のJWとしての活動を制限するよりも、あなたがうつ病であると言ってくれたほうが嬉しいのです。
 
あなたがJW内で、競争社会に疲れを感じているとしたら、それはあなたが正直者であるからにほかなりません。