エホバの証人組織内にこころの病気の人が多いのはなぜか、このテーマでシリーズとして書いています。今回は「仲間の圧力」についてです。
 
エホバの証人は「仲間の圧力」(英語 Peer Pressure を訳したもの)という言葉をよく使います。特に、若い人向けの出版物に多く出てきます。簡単に言うと、エホバの証人の基準と会わない行為をさせようとする、友達からの影響です。文字通り、言葉でいうだけでなく、みんながやっている、みんなに受入れられたい、みんなからばかにされたくない、という風潮に流されることもさします。
 
実は、この「仲間の圧力」、エホバの証人内で、非常によく使われています。
 

どのように仲間の圧力をかけているか

集会、大会、ビデオで、模範的な人のイメージを形作る
こういう経験を、毎週毎週見せらているうちに、自分の中でやらなくちゃいけないというプレッシャーを感じるようになるのです。考えてみてください。もしあなたが塾に行って、毎回、「私は毎日〇時間勉強しています。遊びは全部我慢しました。テレビは見ていません。病気になっても、勉強しました。」というようなことをきいたり、そうした人を表彰していたりしたり、当然、プレッシャーを感じるのではないでしょうか。塾なら、落ちこぼれても、しょせん塾だから、別にいいよ、と気軽に励ませますが、エホバの証人は、それが人生のすべてなのです。
でも、よく考えてみると、そうした経験は、すべて、編集されています。嘘ではないでしょうが、悪い部分は「励まされない」として、すべてカットします。いいコメントしか言わせません。開拓奉仕をしなかったとか、集会休みがちだったとか言ったことは一切語られません。
 
集会での、話、コメント、祈り
ものみの塔研究の際に、服装のことが取り上げられていたとしましょう。確かに、文面に規則としてこれはだめということは書かれていないかもしれません。でも、コメントなどを通して、他の姉妹が、私はこういう服はやめましたなどとコメントがあると、ああ、きっとみんなもそう思っているんだろう、自分だけが違うんだと思ってし
 
学校をつくる
開拓学校、長老の学校、など、特別な立場にある人だけに、学校を作ります。学校に参加すると、周りもみんな開拓奉仕をしていたり、長老だったりします。自分はそろそろやめようと思っていても、周りに一杯やっている人がいると思うと、プレッシャーを感じるかもしれません。
 
模範的な人を称賛する
長老になった人、開拓奉仕をした人、などなど、組織としてのぞましい人は、みんなで「すばらしい!」と称賛します。また、実際、そういう人は、集会や大会で用いられ、みんなの視界に入るようになります。組織として模範的な人は、目立ち、特権(地位)を与えられ、権力(長老や援助奉仕者、また大会その他の責任者など)も与えられます。自分はちょっとそういうことはできない、あまり同意できない、といった考えの人は、黙るしかないのです。そして、あたかも自分だけがそう感じているかのように感じさせます。
 
比較を通して
会衆の人たちは、同じ年、似ている背景、似ている状況の人の例を出します。あの人は、⚪︎歳で、バプテスマを受けた、開拓を始めた、⚪︎歳で長老になった。と言われると、自分もそうしなくちゃとなります。子供を持つ親も同じです。なので、JW2世は、自分がプレッシャーを感じるだけでなく、親が感じているプレッシャーも感じることになるのです。
巡回訪問の時に、補助開拓をするように勧められますが、補助開拓者を発表することで、みんなやっている、自分もやらなきゃと感じさせるのです。逆に、時間が入っていないのに、正規開拓にとどまろうとする人もいます。それも、意味のないことなのに、みんなやっているから、立場だけでもと思うからなのかもしれません。
 
牧羊訪問を通して
いつも出版物を通して、長老はエホバの聖なる力によって認められているといわれています。その長老を通して、いつも、開拓奉仕をしないか、集会休んだのはなぜか、もっと個人研究頑張れ、、、と言われます。仮に、自分は仕事が忙しいからできないというと、優先順位をつけるように言われます。言い訳や、異なった考えを理解することはしません。
輸血の可能性のある手術となると、長老たちが訪問します。そして、医者に、無輸血でおねがしましたか、医療上の宣言を出しましたか、、、と色々と質問されることになります。本当は、もう自分は輸血してもらいたいなと思っても、そのような圧力を感じるのです。
 
そうじゃない人を排除
自分が周りとちょっと違っていたとしても、学校やクラスの中に、あるいはスポーツ活動や、SNSを通じて、自分に合う友達、価値観を共有できるひとを見つけることは大切です。どんなに仲間の圧力を感じていても、自分の感じ方、決定を尊重してくれる人がいるので、自分を持ち続けることができます。
しかし、JW組織内では、いわゆる模範的でない人、違った考えの人、あまり同意できないような人は、排除されます。それは、極端なケースでは、背教を理由に排斥されるというものもありますし、長老たちが眉を顰める、ちょっと違った人たちを、会衆の成員が微妙に察知して、あの人はおかしいという理解になり、結果、目に見えない形で、いじめられることもあります。さらに、SNSの利用に慎重になるように勧め、JWを悪く言う人はすべて、背教者として、みないように言います。背教商社とかかわりを持つと自分も排斥されると、いわば脅迫されます。
 
「仲間からの圧力」の悪用
良い友を選ぶのは良いことです。自分の目標とすべき人と交わるなら、その影響を受けます。逆に、自分がやりたくないことをすること、なりたくない人になることが「仲間の圧力」の誤用、そしてそれを利用して、人を動かそうとするのが、悪用となります。
 
自分は開拓はしたくないのに、集会は、ボチボチくらいでいいのに、子供には、誕生日会や、騎馬戦などで嫌な思いをさせたくない、と思っても、周りの目を気にして、それができなくなっていませんか。そのプレッシャーは仲間からの圧力かもしれません。
 
周りがやるから自分もやるではなく、自分で考えて自分の行動を決定することが必要です。気づかない間に、自分も仲間からの圧力をうけ、いつも焦っていたり、したくもないのに、奉仕をさせられているとかんじていませんか。自分を分析して、まずそのプレッシャーを理解しましょう。よーく友達をえらびましょう。
 
もしあなたが現役JWだとしたら、正直、あなたとあう友達がみつからないかもしれません。もしそうだとしたら、自分のできる限界を設定してください。例えば、わたしは開拓奉仕はしない、集会はzoomだけにする、割り当てはしない、牧羊訪問は拒否する、など自分にプレッシャーをかけない、基準を決めましょう。そして、もしなぜか聞かれたりしたら、いま精神的に、うつ傾向が出ている、不安障害がでているとか、自律神経失調症だとか、体調がすぐれないなどと言って、自分を保つようにしましょう。とはいえ、罪悪感は持たないようにしましょう。あなたは決して悪いことはしていません。