前回も書きました、エホバの証人の組織内にいると、うつ病などの精神疾患の方がとても多くいると感じます。うつ病だけでなく、パニック障害、不安障害、また、精神疾患ではないですが、いわゆる自律神経失調症などの、完全にストレスが起因する病の方も多い気がします。
今回は、私が考察するいっぱいある原因、いっぱいあるうちの、1番目として、
1.そもそもネガティブ傾向の人、また心が病んでいる人を引き寄せる
伝道(勧誘活動)の際に、ほとんどの場合、世の中の問題や、身の回りの問題なのを提起して、それを解決したいと思いませんか、というような流れで話し始める。つまり、すべてではないが、多くの場合、最初の段階で、精神的に病んでいる人をターゲットにしているのです。
例えば、今の政治家の問題、戦争の問題、家族の幸福の問題、人生の目的、人間関係、自分はだめな人間だという考え、などなど、人が良く抱える問題を取り上げ、それに役立つ聖書の言葉を提示します。
もちろん、これは悪いことではなく、良いこと。つまり、精神的に病んでいる人を本当に助けて、支えていくのであれば、そうした人たちにとって、すばらしいことをしていることになる。実際、エホバの証人なって精神的に救われたと感じている人もいるはずです。それは否定しません。
しかし、問題は、エホバの証人の伝道、そして組織の目的が、こころが病んでいる人を助けることではない、ということ。目的は、相手がエホバの証人ならせることであり、その目的達成のための手段として、その人を慰めたり、励ましたりもする。
具体的に言うと、誉め言葉をたくさん、たくさん、たくさんあげるのです。しかし、あくまで目的達成のための手段なのです。
考えてみてください。相手は、もともと精神的に弱い人、誉め言葉を必要としている人。そうした人に、慰めたり、話を聞いたり、誉めたりすると、当然その人は喜びます。当然、喜びます。実際、エホバの証人の、人格や、受け入れてくれる態度にひかれて、聖書研究を始める人がかなりいます。そして、バプテスマまで、行く人がいるのです。
しかし、エホバの証人の、対外(エホバの証人でない人、研究生、バプテスマをうけて間もない人、若い人)への態度と、対内(エホバの証人)への態度は、違います。研究生のころは、本当にちやほやされて、みんなからほめられて、いわば有名人になった気分にさせる感じです。しかし、長年のエホバの証人の間では、派閥や、いじめ、嫉妬など、が行われているといってもいいでしょう。
一つの例を考えてみましょう。基本的に、エホバの証人は、大学進学に否定的で、若い人が大学に行かないよう推奨しています。地方から上京して一人暮らししながら、大学に通うひとが、集会へ来たとします。もし、その人がエホバの証人と全く関係のない人であれば、みんなで大歓迎します。もちろん、大学に行くことがわるいなどとは、一切言いません。ひたすらちやほやします。その人がさらに集会につづけて出席すると、交わりや、食事招待などを受けることになります。
しかし、もしその人がエホバの証人2世ですでにバプテスマをうけている兄弟あるいは姉妹だとすると、話は全く違います。親は何やっているんだ、なぜ大学に行かせたんだ、大学に行く理由は何なのか、この人はきっと信仰が弱いんだろう、と周りは考えます。表情や話のふしぶしにそういう態度が現れるでしょう。奉仕や集会を休みがちだと助言されるかもしれません。大学の試験で集会休んでも、同情されるどころか、助言されるかもしれません。
さらに、別の状況として、もしその大学生が、エホバの証人2世ではあるものの、まだバプテスマを受けておらず、一応集会は出席し、研究をしている場合。その場合は、会衆の比較的若い兄弟か姉妹が研究司会者として割り当てられ、その人がちやほやします。
同じ上京してきた大学生という立場ですが、態度が違うのです。仮に、その大学生がネガティブ傾向のある人だったらどうでしょうか。ある人はちやほやされ、ある人はちやほやされないとしたら、どう思うでしょうか。研究生や新しい人には、(大学進学や集会に休みがちや、道徳面など)悪いことがあっても、なにも反応せず、むしろ、そのひとの悩みや、感情を一生懸命聞いてあげようとするのに、バプテスマを受けてしまうと、何か悪いことがあれば、長老に報告され、助言という形になるのです。
また、組織内でも、人間関係のトラブルはつきものです。結果として、派閥ができたり、無視したりなどにつながります。新しい人が来た場合は、全くそれが有馬園。なぜなら、みんなで、この人は新しい人だという共有認識があるからです。何か意見の違いや、その人が間違ったことを言ったりしても、笑って受け入れます。それが、エホバの証人にすでになっている人であれば、長老に報告したり、その人とバトルになったり、その人を避けるようになったりします。
考えてみてください。もし、あるエホバの証人が、「集会行きたくない」とか、「奉仕行きたくない」、「大学に子供を行かせたい」と言ってしまうとしましょう。それには、それなりの大変な理由や、状況があるかもしれません。また、その人は非常に忙しい毎日を送っていて心が病んでいるかもしれません。その人の状況に関係なく、そうした集会や奉仕を休みたいと言ったことに反応して、みんなから信仰の弱い人、と思われ、待遇が悪くなったり、長老から助言されることになります。
最初は、精神的に繊細な人をターゲットに勧誘し、みんなでちやほやし、その人を大切にしますが、その人が実際に入ってくると、大変な目にあいます。組織内には、繊細でない、ふてぶてしい人もいます。そうした人たちにいろいろと言われてしまうかもしれないのです。
もしあなたが、もともと心が繊細な人だとしたら、それは本当に素晴らしいこと、美しいことだと思います。それだけ、あなたは、他の人を気遣える優しい人だから。ただ、その分だけ、ショックや傷も大きくなります。もしJW組織内で、傷ついたとしたらそれはあなたが悪いわけではない、あなたがいい人だから。ということを忘れないでください。
次回、JW内に心の病気の人が多いのはなぜか、
テーマは「究極の白黒工、「生きる」か「滅ぼされる」か」です。よかったら見てください。