あごひげに関して、みなさんいろいろとコメントしていますが、わたしも何か言いたい!でも、「文句言うな」って最初に釘を刺されているので、ここでしか言えないかな。

 

 

え?!今頃?

最初の反応は、やっぱり、これでしたね。っていうか、この話題、2,30年前からずっとありましたよ。長老の集まりとかでもね。古い70年代とかの資料を根拠に、しかもアメリカのヒッピーとかの事例を根拠に、ひげをそってもらってっていうこともありました。でも、正直、あごひげ=”反抗の精神”って思う人、どれくらいいるのかなって、2,30年前から思ってました。統治体が気づくのやっぱり遅いとしか言いようがない。

 

やっぱり規則があったんだ!

そのあと思ったのは、この規則やっぱりあったんだってこと。服装だとか、身なりに関してそんな規則は作らないはず。だって、その土地の文化や風習、その当人の状況や背景などもあるでしょ。だから、規則はつくっちゃいけないと思っていた。でも、このあごひげに関しては、確かに僕や長老になる人はそらなくちゃいけないっていわれてた。やっぱり規則があったんだね。

規則をつくっちゃいけないっていいながら、やっぱり規則作ってたんだって思った。

 

ってゆうか、聖書的根拠って、特になかったってこと?

今回の変更の理由は、聖書時代にもあごひげは普通の文化だった。ヒッピーの時代には、反抗の精神として見られたが、今はもうそうではない。

っていう風に理解したけど、間違っていないかな?

ってことは、そのヒッピーの時代に、全世界のJWに向けて規則作っちゃったわけ?そして、今に至るまでずっと続いていたわけ?ってことは、

聖書的な根拠もなしに、ずっと規則を強いてきたことになるよね。

っていうことは、パリサイ人じゃん!

だって、前の資料に、一世紀のクリスチャンには、ひげを生やしているユダヤ人とひげをそっているローマ人が一緒に集会で集まっている挿絵とかあったよね。

じゃあ、前からそんなこと知ってたんじゃないの?1世紀のクリスチャンにはなかった規則を作っちゃったってことだよね。

 

なんで、「統治体の話」のビデオでわざわざVTRまで作って仰々しく発表したの?

聖書の理解が変わったときは、ものみの塔だったり、年次総会のビデオだったりで、なんとなく発表されるのに、今回の件や、時間、再訪問、配布の報告なしの件は、ニュース速報でだしたり、文字お越しした手紙を読んだり、わざわざ文句言わないようにって念を押したり、ものすごく手が込んでるよね。
なんでなの? むしろ聖書の見解が変わるほうが重要じゃないの?
聖書的な根拠がなかった規則が変わったとしても、しれっと発表すればいいじゃん。なんでそんあな大事にするの?っていうか、多分統治体もいまさらあごひげOKって言ったら、みんな何て言うんだろうな、、、ってちょっと怖かったのかな。

次は何?

やっぱりこれが気になるよね。すぐに思いつくのは、姉妹たちが奉仕でビジネスパンツをはいてもいいか。かな。

だって、一般の女性たちが仕事で来ているし、正直スカートよりも動きやすくて、丈とか気にしなくていいし、なんのいやらしさもない。最近では、学校の制服でも、パンツルックの女子生徒用の制服もあるよ。

っていうか、やっぱり規則あると思う。

 

あと、夏にネクタイをつけなくていいか。もうつけないで奉仕している会衆もおおいか。

 

あと、兄弟たちがロン毛でもいいの?ミサンガみたいのつけたりしてもいいの?ピアスは?ちょっとスカートっぽい服とかはいいの?

 

文句言っちゃダメって釘を刺しておくんだ

手紙も読まれて、いろいろと文句言っちゃダメって最初から釘を刺された。でもね、この話題って、結構上がってたんだよね。もう20年位前のことだけお、ある離れちゃった兄弟が、自分は肌が弱くて髭がそれないんだって言ったのに、注意されたって言ってたよ。そんな兄弟が、いまさらあごひげOKですって言われても、なんでもっと早くいってくれなかったのってふつうなるよね。でも、いっちゃいけないんだ。

 

最近本当に話題にたえないJWだね。