やはり、これまでのいきさつを伝えなくては、いけないと思う。
基本的にニュースだけを見て、エホバの証人への批判的な報道と、それにエホバの証人(日本支部)がどう対応してきたかを聞いている人は少なくないと思う。逆に、エホバの証人として、内部からこれまでの報道や、対応、また組織内での動き、それをどう感じているか、について考えたことはないかもしれない。
それで、特に2022年安倍元総理大臣の銃撃事件の前から、その後の宗教2世に関する報道、厚生労働省(現こども家庭庁)の対応、組織内での発表、その時期などに関して、まとめたいと思う。
<< 銃撃事件前まで >>
おそらくそれまでも、エホバの証人の2世が辛い思いをしているという報道や、ドキュメンタリーなどは、時折テレビで扱われていた。ただ、「エホバの証人」という実名で扱われることはほとんどなかったと思う。なので、エホバの証人に直接関わったことのある人は、そのような番組を見れば、すぐにエホバの証人とわかるが、エホバの証人に関わったことのない人は、よくわからなかったかもしれない。それで、この件に関して、世に広く周知してもらうという意味では、影響力は少なかったと感じる。
会衆内では、そういう話題はほとんど上がらない。なぜなら、基本的にそういうものは、背教者と同じようなものとして考えているからだ。私自身もそう思っていた。私の中での基準は、いわゆる普通のニュースや新聞は見るが、そういうドキュメンタリーやバラエティ番組は、偏見に基づいているので信用できないと思っていた。というより、きっとそうなんだろうという感じかな。そういう番組を見た感想などを言うと、そういう番組を見ている時点で霊性が低いと思われるので、できるだけ話題にしないようにしていた。周りもきっとそうだろう。
たまに、そういう話を聞いて、あれはどう思うの聞かれれば、まあ、一部の人がそう感じているだけと答えていた。そう言った番組は、実際に少なく、私も見ないようにしていたというよりは、本当に見る機会がなかった。
<<銃撃事件後>>
しかし、安倍元総理大臣の銃撃事件以降、宗教2世が取り沙汰されるようになった。しかも、最初は実名を出さなかったが、しばらくすると、「エホバの証人」と実名を使い報道が始まった。旧統一教会の活動について、また宗教2世に関して、マスコミも触れてこなかったが故に、あの銃撃事件が起きるきっかけとなったかもしれないという反省もあるのかもしれない。
報道は、日増しに多くなり、また具体的になってきた。しかも、今回は「鞭」問題、つまり児童虐待として取り沙汰されるようになった。これまでは、一部のドキュメンタリーという感じだったのが、一般のテレビや新聞の報道で取り上げられるようになってきた。さらに、国会でも議論されるようになてきた。日本維新の会の梅村みずほ参院議員が自分も宗教2世で虐待されたと公表し(後にエホバの証人2世だと公表した)、国会において追及するようになった。
この鞭問題、その時点での私の感想、そしておそらくJ Wの大半の人の感想は、こうだ。
1970年代、1980年代、小さい子供だったエホバの証人2世は、確かに厳しい懲らしめを経験してきた。物差しで叩いたりとか、集会中掃除道具倉庫みたいなところで、懲らしめるなんてことは、(はっきり覚えていないが)多分よくあったと思う。行きすぎていたとも感じる。
でも、その当時の風潮として、ドラえもんののび太くんもママからお尻叩かれたり、していたし、「スクールウォーズ」みたいに、学校でも先生が生徒に暴力を振るうこともあったし、今から見れば、行きすぎていたことはいくらでもあるんじゃない。今更取り上げられても、罪に問えないでしょ。
おそらくそう言った報道も、少しすれば収まると、多くのJWは思っていたかもしれない。おそらく日本支部もそうだと思う。それで、報道においても、日本支部のコメントとしては、最小限なものしかなかった。できるだけ、コメントを控え、テレビの露出は避け、ひたすら黙っていよう、という、いわば逃げようという態度に見えた。 日本支部のコメントが明らかに、「自分には責任はない」という点を強調するたびに、元JW2世たちをイライラさせてしまい、怒りをさらに増大させ、別の言い方をすると、彼らのやる気をさらに強くさせてしまったと思う。
正直なところ、私もそう感じていたと思う。
「虐待」という言葉の定義をはぐらかして使ったのだ。
報道で言われている「虐待」とは、親が子供過度にたたくことなのに対して、日本支部は、おそらく虐待を、性的な虐待や、極端な残虐な「虐待」のことを言っているかのように、「虐待という言葉を使っていた。そして、そんな虐待はなかったとか、あったとしたら残念だというコメントを出していた。
このように今回の一連の出来事において、日本支部のコメントはいつも、「虐待」とか、「強制」という言葉を、定義をあいまいにして、こたえることによって、あたかも自分たちにはそんな事実はないという印象を与えようとしてきた。
これはなおさら元JW2世たちの怒りを誘っただろう。
鞭問題だけでなく、子供への輸血拒否も取り沙汰されるようになり、さらに排斥問題'(忌避)も扱われるようになった。さらには、現役の長老などが、報道にも出たりした。
こうした報道が取り沙汰されると、一番難しい立場に晒されるのは、日本支部ではない。一般信者だ。エホバの証人は、奉仕に出かけ、家から家に出かけたり、駅前でカート奉仕をしたりする。中には、今取り沙汰されれている問題についてどう思うかと聞かれることも多い。挑発的な人もいるかもしれないし、多くのJWはあたかも何もなかったかのように、報道を知らないとか、一部の人が偏見に満ちた批判をしているだけ、と答えたりもしたが、そういうたびに、JWは世間をしらないと揶揄される。
野外奉仕だけではない。信者ではない家族や、同僚たちからいろいろきかれる。子供がいれば、親同士の間でも聞かれる。
恐らくわたしだけではなく、ほかの兄弟姉妹たちも感じていたと思う。実際、どうこたえたらいいのか?
日本支部は、この件に関して、会衆に対して何の指針も、励ましもしてこなかった。多分、一部の長老たちや、巡回監督は、自分で関連する資料を調べて、聖書でいう「鞭」とは、たたくことだけでなく、教え諭すことだという記事などを紹介していたかもしれない。ただ、日本支部は何にもしてこなかった。あたかも、何も起こっていないかのように。動揺する人が、信仰がないのだといわんばかりだ。
実は、これも一つのメッセージなのである。つまり、会衆の成員たちがこの件でいろいろ聞いても、何もしないということが、長老たちもおなじようにするようになる。ただ、時間が経てば、きっとみんなわすれるから大丈夫だよくらいに思っていたのかもしれない。
私は、違った。今回の件は、国会で取り上げられ、旧統一教会とエホバの証人を念頭において、取り上げられている。つまり、これが何か法的な措置が取られるとしたら、エホバの証人への迫害(エホバの証人が思うところの迫害)や、ハルマゲドンへの前触れとなるのかもしれない。ロシア政府が少しずつエホバの証人への規制を強化し、禁令に至ったが、その際、何も知らなかったとは済まされない。
エホバの証人として今回の件を、注視すべきだと思った。きっと日本支部もそうしているはず。(と思っていた。)きっと会衆へ何か指針を与えるはず。また、日本支部として何か声明を出すか、政府に働きかけをするのか。
何にもない。
そんな時、2022年もまもなくおわろうという、12月27日当時の厚生労働省が「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」というものを出して、児童相談所等に配布したというニュースが流れた。
私にとっては、これは重大ニュースだった。これこそ、政府からエホバの証人への迫害なのか。どうする?日本支部!
<続く>