(忙しい人は、一番下の「まとめ」だけでもみてね!)


エホバの証人に関して、終わりが来る時期について何度も間違えているとよく指摘されている。私の知っている限りでも、1914年、1925年、1975年、1994よりも前、二十世紀以内、などなど。しかし、私が若い時に疑問に思ったのは、間違えたこと自体ではなく、まず根本的になぜ終わりの時を予想しようとしたのかだった。


 疑問の始まり

私が小さい時、1975年に終わりが来るとエホバの証人は思っていたが、そうではなかったという話を親や周りの兄弟姉妹から聞いたのを覚えている。1975年に終わりが来るので、虫歯の治療もしなかったり、自転車の修理などしなかった人がいたという話を聞いた。また、1975年に終わりが来なかったために、エホバの証人から離れた人もいたと聞いた。そういうひとたちは、「時に信仰」を置いてしまったと聞いた。つまり、自分が救われるために、終わりの時に合わせて、形だけ信仰を持っているように見せて、実際には本当の信仰を持っていなかったと聞いた。(また改めて書くつもりだが、実際には「ものみの塔」の中で、また集会のプログラムで、1975年に終わりが来るから他のことは後回しにするように進めていた。)つまり、1975年に離れた人たちは、ただ利己的に救われようとしていたのだと聞いていた。また、統治体は終わりが近いことに注意を喚起することが必要なので、間違っていたとしても、伝える必要があったと聞いた。


それで、統治体が時に関して間違えていたこと自体はあまり気になっていなかった。しかし、自分にとってすごく気になったことがあった。当時まだ自分もかなり若かったと思う(恐らく十代はじめ)。それは、1975年のことをある長老が交わりで話していたときだ。


なぜ1975年に終わりが来ると間違いをしたのかを説明し、(エホバの証人の解釈では)聖書によるとアダムが創造されたのが、紀元前4026。そしてエホバが創造の仕事を終え、休みの期間の後、6000年後に終わりが来ると信じていたので、1975年に終わりが来ると思っていた。しかし、実際には来なかった。どこが違ったのか。その長老が説明するに、エホバの創造の終わりは、アダムをつくった時ではなく、エバを作った時。つまり聖書では、エバが何年に創造されたか書かれていないが、その時から数えて、6000年後に終わりが来ることになる。アダムが創造されてから、すぐにエバが創造されたのではなく、数年かそれ以上あったので、それが計算に含まれていなかった、1975年に終わりが来ると間違えたのだと聞いた。その話をしていのが、何年だったか記憶にないが、その長老によると、例えば、その話をしたのが、1975年から10年後の1985年だったとすれば、終わりはまだ来ていなかったので、エバは少なくともアダムの創造の年から10年後以降に創造されたはずだ。それゆえ、アダムは少なくとも10年は独身だったことになると言っていた。その説明は私が後で読んだものみの塔の資料と同じであったので、彼の個人的な考えではなく、統治体の理解だ。


その話を聞いた時、すぐに疑問が浮かんだ。

イエスは、

その​日​と​時刻​に​つい​て​は​誰​も​知り​ませ​ん。天使​たち​も​子​も​知ら​ず,父​だけ​が​知っ​て​い​ます。  (マタイ24:36)と言っていた。


ん?どういうこと?


イエスも終わりがいつ来るか知らないって言っている。

しかし、エバが創造されたのがいつなのか、聖書には書かれていないが、創造に参加したイエスは知っているはず。終わりがエバの創造から6000年後だったら、イエスは終わりが来る時も知っていることになる。



ん? おかしい、イエスの論点は、少なくともこの時点では、イエス自身も終わりがいつ来るか知らないし、ましてや弟子たちも知らないんだから、いつ来てもいいように備えるようにということ。

逆に、いつ来ると予想すること自体が意味ないし、その予想に基づいて弟子たちを備えさせることもおかしいんじゃない?

なんでそこは気づかないの?


 色々と黙想してみた(じっくり考えてみた)


百歩譲って、予想したとしても、少なくとも、「多分」終わりがいついつに来ると思うけど、とか、「その年に来ない可能性もある」けど、とかいうのが、普通じゃない?だって、「夜の盗人」のように来るとも書いてあるなら、いつ来るか誰も知らないし、自分が予想していた時に来ない可能性も十分あるってことだよね。


こんな聖句もあるよ。

兄弟​たち,時​や​時期​に​つい​て​は,皆さん​に​何​も​書き送る​必要​は​あり​ませ​ん。  2 エホバ​の​日​が​夜​に​忍び込む​泥棒​の​よう​に​来る​こと​を,皆さん​は​よく​知っ​て​いる​から​です。(テサロニケ第一5:1、2)


パウロが書いた手紙の相手は、クリスチャンに対して。時や時期に関しては、書き送る必要がないんだって。だって、いつ来るかわからないからっていう意味じゃないの?

確かに霊的に目覚めた状態を保つよう励ます必要があったけど、パウロは、終わりが「何年後に来る」とか、「いつよりも前に来る」とか、「私の世代の間に来る」とか言ったっけ?


イエスは同じマタイ24章で、こんなことも言っていた。

その​時,『見​なさい,ここ​に​キリスト​が​いる』と​か,『そこ​に!』と​か​言う​人​が​い​て​も,信じ​て​は​なり​ませ​ん。  24 偽​キリスト​や​偽​預言​者​が​現れ,できれ​ば​選ば​れ​た​者​たち​を​さえ​惑わそ​う​と​し​て,大きな​奇跡​や​不思議​な​こと​を​行う​から​です。(マタイ24章23、24節)

なんか、「偽キリスト」がいろんなことをやらかしたりするって言ってるけど、まさかJWがそんなことしてるのかな?

なんて思ってしまった。



 その後

その疑問を持った時、その長老に聞いてみたけど、なんかよくわからない答えだった感じで、きっと自分が理解できないだけだろうと思って納得したことにした。その後も、何回か聞いたこともあるし、自分で過去の資料を調べたこともあるが、何十年もその答えを見つけられなかった。


世代の見解がどんどん変わっていく中で、僕の中では、統治体がはっきりと、『「世代」の意味はこういうことかなと「思う」けど、終わりがいつ来るかなんて、「全くわかりません!」だって、イエスも知らないって言ってるし、予想することは不可能だから!』と言うことを期待していた。今でも期待している。


イエスの論点は、いつ来るかではなく、いつ来るか知らないから、いつも備えるようにと言うことだ。そこを強調すべきだし、逆に予想した時に来ない可能性も十分にあると言うことを言うべきだと思う。



 まとめ


この件で、もし納得のいく説明があるなら、ぜひ教えてほしい。最初の部分でも述べたが、JWがこれまで何度も終わりが来る時期を間違えたこと自体に疑問を持っているのではない。

イエスもパウロも、「終わりの時はいつかは誰も知らない」と言っているのに、なぜ終わりの時期をほぼ断言し、それに基づいて仲間を動かそうとしたのかが疑問だ。