Part1からの続きです。
今思えば、相当ブラックだったなぁと。
その中にいると、それが分からないんですよね。
そして私の頭の中のネジが色々ぶっ飛んでいきます。
営業先の担当者に、
会社の愚痴を言うようになったり。
モノを売るために手段を選ばなくなったり。
土下座まではしませんでしたが、
どうしてもその時コピー機を売りたくて、売りたくて。出た言葉。
「売れないと困るんです。助けてください。」
こんな営業マン、最低ですね。
私は営業マンは戦士だと思っていました。
戦う知識(商品知識)を身に着け、
相手の懐に飛び込み、
相手の弱点(⇒商品の需要の事です)を知り、
そこに付けこみ提案する(⇒見積提出)。
納得してもらい、受注する。
ただ、見積もりを提出しても
反応が薄かったり、時期が悪かったり。
そんなのは当たり前ですよね。
それは私も分かっていましたから。
上司からあの案件(見積り提出済)はどうなった!?フォローしっかりしているのか!? と詰め寄られた時には
しぶしぶ電話や訪問してどうですか?と。
「今回は見送ったよ。」
「検討中だよ」
と。
私は営業なんて絶対にやりたくないですが
今営業をしなければいけないなら、商品知識なんてほどほどにして、
相手方と信頼関係を作っていくことが大事。
そして相手が気づいていない部分に気づく事。
その提案が自社の製品とマッチしていなくてもいい。
しっかり全体を見て、判断すること。
例えばジュースを売り(1C/S 売値2,000円)に行って、客先から
「飲み物は要らないけど、ジュースが入っているダンボールが頑丈で今欲しい。」
と言われたなら、
1C/S 24缶入り 卸値1,200円として。
「それならば1,200円で良い(利益0)のでジュースごと買ってください!」
というのが以前の私。 売上の実績を作りたい
今の私なら
「ダンボールが必要なら是非お使いください。」
「中のドリンクは今いるフロアの方に無料で配布させて頂いても良いですか!?」
このような提案をしたい。
提案自体、机上の空論かもしれないが、
相手にとってインパクトを残し、かつ恩を売るではないが
このやり方は相手方にとってもWinWinなので、
もしかしたら次回はこの人に何か頼もうかな。となるかもしれない。
売上としてはマイナス1,200円だが、原価で販売するよりは効果的だと思う。
こういったことが出来なかったからこそ、私はダメだったんだろうなぁと。
今思います。ジュースの話は極論ですけどね。 柔軟性って大事でした。
この仕事は2013年に辞めました。
それはそれはとても酷い辞め方でした。
引継ぎなんてせずに、会社に迷惑をかける形で辞めてしまいました。
それは死のうと思っていたから。
辞めるトリガーは金曜日だったかな。
会社の飲み会でした。
精神的に参っていた私は、
いつものように会社の飲み会で飲まされて。
飲まされて。
オカシクナッテ。
土下座しました。
「これ以上無理です。スミマセン。辞めたい。」
Aさん(部長):まだまだ若いしこれから経験を積もう!
クソ上司(支店長):今辞めて他に行けるのか?
Bさん(部長):俺が助けるからもう少し頑張ろう?
社長:大丈夫か?
他の人たちドンビキ。
・・・。
もう無理だったなぁ。
限界点でした。
こんな私でも当時遠距離でお付き合いしていた方が居たんです。
飲み会の日。
そのお付き合いしていた方に電話したんですよね。
飲み会で飲まされていたし、かなり泥酔だったし。酔っ払いの相手なんか遠距離恋愛で一番やっちゃいけない。
「もう無理かな、好きな人が出来たから。終わりにしたい。」
そりゃそうだ!
この時からずっとフリーです。 HAHAHA!!
・・・ちなみにこの方とは今でもたまに連絡を取り合う中です。
今度結婚するそうです。お幸せになって欲しい。
(今更妬みやら嫉妬はないですよ。マジで。)
仕事も彼女も同時に失った日。
忘れもしない2013年4月
当初、死ぬつもりで旅に出ました。
そうそう、このブログは実は旅ブログなんですよ。
最初の記事はコチラから
興味持って読んでいただけたら。
記事自体は旅を終えた後に書いていますが、
ノートと筆記用具を購入し、
ノートにまとめたものを
書き綴っているのでリアル感はあるかと。
読み返したくはないですけどね。
いつか心に余裕が出来たら読み返したいかな。
Part3へ続きます
※Part3は後日書きますね。