丸亀での任務?を終えた後は、予定どおり徳島へ。
当初考えていた、徳島市内観光は止め、翌日早朝に乗るフェリーターミナルで混み具合を見ておいて、
そこから40kmほど離れたある町へと向かうことにする。
その町とは、以前からのネット友達である旧中山道さんの故郷です。
まずは、阿南市を目指す。
山の木々の色が信州とは全く違います。
最初の目的地は、旧中山道さんがブログで紹介していた1軒の店。
時刻は既に午後3時を回っているので、多分「準備中」となっているだろう、と思いながら走っていると、
ありました、ありました!
「中華料理 喜楽」
看板にもかなり年季が入っています。
ここは、旧中山道さんの同級生、大親友のお店。
やはり、駐車場には1台も車なし。
のれん、強風で寄ってしまったのか、それとも営業中ではないという表示なのか?
時間はもう午後3時半を回っていますから、普通の飲食店なら営業していなくて当たり前。
記念写真を2、3枚撮って、立ち去ろうかとも思いましたが、せっかくだから一応、店の中をのぞいてみる。
扉には鍵もかかっておらず、奥さんらしき女性が店内に一人いて、目と目が合い互いにちょっとびっくりした感じ(笑)。
「や・・・ やっていますか?」
「はい、どうぞ」
しかし、実を言うと、この時私の胃袋のコンディションは、丸亀で食べたうどん(中)×2 がまだ消化しきれていない状態なのでした (;^_^A
カウンターの端から端まで、ズラリと並んだ豊富なメニュー。
安い!
ラーメンが380円て、社員食堂並み。
旧中山道さんのブログに、私が食べてみたいとコメントしたのが「焼きめしとラーメン」。
しかし、かなり盛も良いというこの店のセットメニューを相手に、今のコンディションで果たして勝利できるか、ちょっと不安を抱えながらも、初志貫徹で挑戦。
厨房にご主人らしき人の気配がして、そのうちチャーハンを炒める音がしたと思ったら、すぐに静かになり、間もなく奥さんが運んできた。注文してから5分ほど。
食欲をそそる色合い。
見た目、期待どおり。(⌒o⌒)v
そして、チャーハンとラーメン、確かにそれぞれしっかりと1食分はある。
炭水化物のレギュラーコンビ、これぞB級グルメの真骨頂だ!
味も期待どおり。
特に、濃い目のチャーハンが美味かった~!
味の濃いのは私の好み。
ただ量が多いだけでなく、具もたっぷりと入ってて、決して炭水化物オンリーではない。
さっきのうどんはどこへ行っちゃたのか? と思うくらい、楽々と完食してしまった自分が怖い (゚ロ゚;)
私のメタボ指導主治医には、絶対、内緒です。
しかし、さすがにこの日は、もう晩飯を食べる気がしませんでしたが・・・(笑)
さて、ご主人はというと、現れることもなく、調理が終わるとさっさと奥の方に引っ込んでしまった様子。
食べ終わってお金も払った後で、奥さんに「これこれしかじか・・・」とここにやってきた事情を白状。
ご主人は、外にいるというので、店の前に出たがどこに行ったかわからない。
奥さん、裏の自宅に呼びに行ってくれて、家から出てきたご主人と門のところで、しばし歓談。
旧中山道さんの同級生ということは、私とも同い年。
以前見た、食べログの口コミをすっかり忘れていましたが、今それを改めて見返して思いました。
「おっかない」って、どこが?
http://tabelog.com/tokushima/A3602/A360201/36005144/
喜楽さんに別れを告げた後は、海岸を目指して向かってまた走る。
この後の予定を考えると、もう、あまり時間に余裕はありません。
その町へ到着。高速バスの停留所です。バスを待っている人が2人いました。
京都からバス一本でここまで来れるって、ちょっと驚きです。
港。
山ザルはこういう場所に来ると、すぐ写真を撮りたくなるんです。「避難場所」の表示があります。
階段の正面には、「昭和南海地震津波」と書かれたプレート。
ここにも、南海地震の際の津波最高潮位を示す石柱。
堤防沿いに狭い道が続く。
見たことのない道路標識が。
えっ! 「カニに注意」?
探していたのは、「ノースアメリカン号遭難救助の記念碑」。
あれれ ヾ(;´Д`●)ノ
およその位置は頭に入っていたつもりが、わからなくなってしまった。
方向と距離を全く見誤っていたのです。
山国育ちの私は、海岸地形、特に半島に行くと混乱して迷ってしまうことがよくあります。
影も長くなってきて、焦りはじめる。
マップルにその地点を書き込んであったので、この時、それを出して確かめてみれば、わかったはずなのに・・・ と後で後悔。
塩ビの筒にたてられているのは杖???
横断旗、でもないし・・・
そして、マジックで書かれた 「まずは助かる」 の文字。
町の中のあちらこちらに、津波に対する備えを感じました。
大津波がやってきた時の被害を最小限に止めようという精一杯の対応。
3年前TV映像を通じて、日本中がその恐ろしさを知りました。
津波被害とは全く無縁の土地に暮らす私ですが、
一昨年、東日本大震災の津波被災地に訪れ、その想像を絶する惨状も目の当たりにしてきました。
破壊しつくされた建物、道路、鉄道・・・ 海岸沿いにそれが延々と続く。
その光景をバックにバイクを撮る気持ちにはならないほど、ショッキングでした。
今後確実に起こるといわれている巨大地震、
その時、日本中で一人の犠牲者も出ないことを切に祈ります。