やはり母の死はつらいものだ。最初は、母の最後の言葉聞けず、これからどうしようと、人生最大の大パニックになってるところを、それを許さない葬儀社決めてくれ❗攻撃。病院が決めると高くつきます。ご注意を。それをなんとか兄と乗り切ったが、半年過ぎてみて最初の頃よりはショックは少ないが、やはり母が、この世にもういないということと、日頃の話し相手、相談相手が誰もいないという現実を突きつけらる。昨日は1番の長老に嫌な相手の対処を相談したところ、班長なんだから逃げずに直接闘え、注意しろ‼️といった言語道断的な昭和的な説教をされ凹みました。それこそが班長の立場だけを利用(嫌な奴は私を班長と認めてなく前班長派である)したモラハラ(嫌な奴は充分過ぎるほどパワハラなのだが)ではないか。だからナメられると❗それこそ昭和の説教だ。どんどん私の理解者は減っていく。難しい局面にたたされた。自分らしくを、すっかり忘れてしまったようだ。鬱にはならぬように気をつけたい。