友達が死んだ!

10月12日、「チャリティーコンサートを終えて」をブログにUPした日。
そのコンサートの縁の下の力持ちとして、俺を支えてくれていた練馬の
H君が死んだ。
発見されたのは1週間後の19日、新宿区に暮らすと云う3人兄弟の兄。

$J's_cafeへようこそ!-20090125 廣田善夫くん

ちょうど1年前の夏に出会い、ほんの1年ちょっとの付き合いにしか
過ぎなかったが、お互い60過ぎてから得た友人で“分かりあえる”
格別のものがあった。

「俺の爺さんが信州・綿引村(現長野市)の出身で・・・」と云うのが
口癖で、「信州」という言葉に思い入れがひとしお感じられた。

父は某国立大学の教授。母は、クリスチャンで源氏や枕草子を原文で
読むのが趣味、百人一首も諳んじていたという教養人だったという。
そんなお母さん子だった彼は、3人兄弟で兄と姉の末っ子。兄は東大
から総務官僚に。

彼は都立明正高校(現 蘆花高校)から青山学院大学へ。その頃から
「俺、人と話すのが苦手なんだ」と引き籠りに。

結局卒業後も就職せずに、人と会話しなくて済む大日本印刷や大日本
インキで日雇いの(その日に日給を手にできる)仕事を。
そして、原発性胆汁性肝硬変という難病を抱えながら深夜から明け方
まで働いて朝から酒に浸り、30代半ばからアルコール依存症とも闘っ
てきたという。

父親譲りだという囲碁・将棋は有段者で、麻雀もかなりやったらしい。
単に受け売りの知識をひけらかしたりでなく、好きな詩や俳句を諳ん
じていたりと教養の深さを時折り垣間見せたりもした。

この夏の初め、3か月ほど三鷹病院に入院すると言って俺の好きな
ターキーの12年物と自分用に黒霧のワンカップを持ってきた。
俺も飲まないからと云って止めさせようとしたんだが聞かず、結局
ベロベロになって自転車で帰って行った。
心配した通り、中村橋の自宅に帰るまでに都立家政と鷺宮駅近くの
スナックをはしごした揚句、眼鏡は壊すは時計は無くすは右の額から
頬にかけて擦り傷つくり、右小指を骨折してボロボロになってたどり
着いたという。
そして、この日が彼と飲んだ最初で最後の日となった。

8月に入って週末ごとの帰宅が許されるようになり、また顔を出して
くれるようになった。睡眠薬か何かを大量投与されて一日中ただ
ボーッとしてる毎日、テレビはあっても観ていられず本も読めない。
集中して何かやるという事が出来ないらしい。
そして悲しいことに、こういった弱者が集団生活してる病院の中で
又、弱い者いじめが横行しているという事実。
8月26日に退院するまでの1カ月は特に酷いいじめにあっていたよう
で、鬱状態にあったようだ。

退院後、依存症患者の集まり「断酒会」にも顔出していたようだが
なじめなかったみたいだ。
「じんサン、アル中って一人では決して抜け出せないんだよ」
「薬漬けで日がな一日ボーッとしていて仕事にも就けず、結局は
三鷹病院のようなところを死ぬまで出たり入ったりしてなくちゃなら
ないんだよ」
「アル中には自殺者が多いんだよ」・・・

そして10月に入った頃から、「唾が出ないんだよ」と会うたびに嘆く
ようになった。満足に食事が摂れなくなり、げっそりと痩せた。
唾が・・と云いながら、それでもポテトチップスやポッキーや柿の種
のようなしょうもないもんばっかり食べていて、俺の言う事はなか
なか聞いてくれず、大きく口をあけると外れちゃうんだよ云いながら、
すっとぼけた表情で入れ歯を見せた。

いつも真っ直ぐ見詰めてくる瞳が印象的だった。まじめでシャイで、
女の子と付き合ったこと無いんだって恥ずかしそうにつぶやいた。

かつて親友だった奴の受け売りだが、「友達って共犯関係なんだよ!」
なんでも気にせず言って来いよ頼ってくれってあんなに言ってたのに、
友達がいもなく独りで逝ってしまった。

パソコンまでは行けなかったが同じAuなら教えられるからと、携帯は
持たせることができた。EメールもCメールも使いこなせるようになった
が、アドレス帳は兄と義兄と俺だけで、それ以上ついに増えることは
なかった。

「10/8 11:58 メール有難う。今日は最悪だ。また伺います。H」
これが彼から来た最後のCメール。
「10/8 12:03 最悪かぁ・・体調はどうにもならんが、気持は引き
立てることはできる。気楽に気楽に。じん」と俺。

そして10/10のお昼頃、これから行くからと電話来たきりぷっつりと
連絡が途絶えた。
まさか・・・?とは思ったが、近くに行きつけの主治医もいることだし
最悪入院してしまったかと、25日まで毎日メール送って消息を聞いて
いた。
食えなくて眠れなくて眠剤が徐々に増えていったのか?緩やかな自死
かも知れない。

残念だ、悔しいよ。Stand by me 居てくれるだけで安らいだのに。
残されたわずかの時間、彼の分まで熱く濃く生き切りたいと誓う。