英語遊歩道(その61)-松尾芭蕉「奥の細道」-「漂泊の思ひ」(Wanderlust) | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

6月に父の郷里の寺で母の七回忌の法要を行うことになった。母が亡くなったのは令和元年の6月、日本中が10連休や令和改元で浮かれていた時期だった。ある意味幸せだったのかも知れない。

 

 

先日、弟夫婦と飲んだとき、松尾芭蕉の「奥の細道」の話になった。「月日は百代の過客にして……」で始まる紀行文である。研ぎ澄まされた名文である。

 

文中に「漂泊の思ひ」という言葉が出てくる。「漂泊」を辞書で引くと①流れただようこと②一定の住居または生業がなく、さまよい歩くこと、流離(さすらい)、とあった。

 

たまに一人でドライブに出かけ見知らぬ風景を見たり、見知らぬ店に入って食事をして、店員とわずかな言葉を交わしたりするが、これらはまさに芭蕉の「漂泊の思ひ」に通じるものだろう、という結論になった。

 

 

以来、「奥の細道」に関する書籍を読んだり、朗読CDを購入して車内で聴いたりするようになった。流離のドライブも少しだけ風流になるだろう。

 

 

(原文)

月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。

予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣をはらひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをづづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すゆるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別所に移るに、

 

草の戸も住み替はる代ぞ雛の家

 

表八句を庵の柱に掛け置く。

 

 

(現代語訳)

月日は永遠に終わることのない旅人のようなものであって、来ては去り、去っては新しくやってくる年もまた旅人である。船頭として船の上で生涯を過ごす人や、馬引として年をとっていく人にとっては毎日が旅であって旅を住処としているのだ。昔の人も、多くの人が旅をしながら亡くなっている。

私もいつの頃からか、ちぎれ雲が風に誘われて行くように流浪の旅をしたいという気持ちがおさまらずに、最近は海辺をさすらってはいた。去年の秋に川のほとりの古びた家に戻って、蜘蛛の巣をはらい腰を落ち着けた。年もだんだんとくれてきて春になったが、霞だちたる空を見ると、「今度は白河の関を超えたい」と、そぞろの神が私の心に取り憑いてそわそわさせ、しかも道祖神が私を招いているような気がした。股引の破れているのを繕って、笠の緒を付け替えて、三里にお灸をしたところ、松島の月はどのようになっているのだろうとまず気になったので、住んでいた家は人に譲って、杉風の別荘にうつると、次のような句を詠んだ。

 

このわびしい芭蕉庵(江上の破屋)も住人が変わることになって、雛人形が飾られる家になることであろうよ。

 

この句を芭蕉庵の柱に掛けておいた。