仕事が忙しくしばらくブログから遠ざかっていた。季節は9月に入り台風が近づいている。
「諸子百家」とは中国の古代春秋戦国時代に現れた一群の学者・学派を総称していう。高校の世界史や漢文でも習ったがしっかり学んだわけではなく哲学者や学派の名称、代表的な思想、文書を少々かじっただけだった。
大学の教養部でも漢文学で「荘子」を学んだが、概して退屈な講義で単位を取っただけで殆ど勉強はしなかった。新入社員の頃、保険契約(約款)を嫌というほど勉強させられたが、保険契約のみならず契約自体が「性悪説」に立脚していると感じた。
所詮ビジネスとは冷徹な論理に基づいて行われるものだと理解した。これが自分のビジネスに対する基本的な姿勢となっていった。
以後諸子百家に触れることは無かったが、一昨年NHKの「孫子」に関する番組を見てテキストを読んで少し勉強した。また、先日から仕事上で「性善説」と「性悪説」について考えさせられる出来事があって「荀子」を読み始めた。
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基本的なことを英語交えて少し書いてみよう。
諸子百家の代表の「孔子」は英語で“Confucius”、その学説を体系化した「儒教(儒家)」は“Confucianism”。一方で「老子」と「荘子」は“Laozi”と“Zhuang Zhou”その学説である「道教(道家)」は“Taoism”。
儒家の流れを汲むのが「孟子」と「荀子」で“Mencius”と“Xun Kuang”。孟子が提唱したのが人間の本性は善であるとする「性善説」、これに対して荀子が主張したのが、人間の本性は悪であるとする「性悪説」である。
「性善説」、「性悪説」については決まった英語の訳語があるわけでは無く、以下のように定義されていることが多い。
「性善説」: “ethical doctrine that human nature is fundamentally good”
「性悪説」: “ethical doctrine that human nature is fundamentally evil”
人間の本性が悪だとすれば、これをそのまま放置しておいたのでは社会そのものが成り立たなくなる。そこで荀子は、悪なる本性を押さえ込む規範が必要だとして、礼と義、二つ併せて「礼義」を提唱した。
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以下は書籍からの引用である。(「【新訳】荀子」 守屋 洋 編訳)
「先義而後利者栄、先利而後義者辱」(『荀子』栄辱編)
(書下し文)
「義を先にして利を後にする者は栄え、利を先にして義を後にする者は辱めらる」
(現代語訳)
「義を優先させて利を後回しにする者は栄える。逆に利を優先させて義を後回しにする者は非難にさらされる。」
肝に銘ずべき言葉である。