一昨日の午後から春のような陽射しが見られるようになった。そろそろ梅も見頃となる。
「蛍雪の功」とは、「苦学して勉学に励んだ成果」をいう。昔「蛍雪時代」という雑誌があったが、今もあるのだろうか?
本番まで残り僅かな日々、猛勉強している受験生も多いだろう。春は近い、頑張れ!受験生!
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(原文)
孫氏世録曰、康家貧無油。常映雪讀書。少小清介、交遊不雜。後至御史大夫。
晉車胤字武子、南平人。恭勤不倦、博覽多通。家貧不常得油。夏月則練囊盛數十螢火、以照書、以夜繼日焉。
桓温在荊州、辟爲從事。以辯識義理、深重之。稍遷征西長史、遂顯於朝廷。時武子與呉隱之、以寒素博學知名于世、又善於賞會。當時毎有盛坐、而武子不在、皆云、無車公不樂。終吏部尚書。
(書下し文)
孫氏世録(そんしせろく)に曰(いわ)く、康、家貧にして油無し。常に雪に映じて書を読む。少小(しょうしょう)より清介(せいかい)にして、交遊雑ならず。後に御史大夫(ぎょしたいふ)に至る。
晋の車胤(しゃいん)字は武子(ぶし)、南平の人なり。恭勤にして倦(う)まず、博覧多通(はくらんたつう)なり。家貧にして常には油を得ず。夏月には則ち練囊(れんのう)に数十の蛍火(けいか)を盛り、以(もっ)て書を照らし、夜を以て日に継ぐ。
桓温(かんおん)、荊州に在り、辟(め)して従事と為す。義理を弁識するを以て、深く之を重んず。稍(ようや)く征西の長史に遷り、遂に朝廷に顕(あらわ)る。時に武子、呉隠之(ごいんし)と寒素博学(かんそはくがく)を以て名を世に知られ、又賞会に善し。当時盛坐有る毎に、武子在らざれば、皆な云く、車公無ければ楽しまず、と。吏部尚書に終わる。
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(現代語訳)
「孫氏世録」にいう、孫康の家は貧しくて灯油が買えず、いつも雪に映る明かりで本を読んでいた。幼少より潔癖な性格で、友達を選んで交遊した。後には御史太夫にまで出世した。
晋の車胤は字を武子といい、南平の人である。諦めることなく勉学に励み、あらゆる本を読み、多くの事柄に通じていた。家が貧しくいつも灯油が手に入るわけではなかったので、夏は練り絹の袋に数十匹の蛍を入れ、その明かりで書物を照らし、夜を日に継いで勉強した。
桓温が荊州にいた頃、車胤を召して従事としたが、物事の理非を弁(わきま)えていたので、重用した。彼は次第に出世し征西将軍の長史になり、朝廷にも名が知られるようになった。当時、呉隠之(ごいんし)と共に、貧しい境遇でありながら博学だと有名になった。また宴席での振舞いが巧みで、大きな宴会に彼がいないと、「車公がいないと面白くない」と人は口々に言うようになった。吏部尚書まで昇進して生涯を終えた。