暦の上で立冬を過ぎたこの週末は雨、街中では真冬の格好をしてる人も多くなった。昨夜からの雨が残っていたが今は薄日が射しはじめた。このまま季節は冬に向かうのか?
山間では紅葉が見頃だが、天気が良くなるようなら車を走らせてみようか。それにしてもウィークデイの好天が恨めしい。
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陶淵明(陶潜)(365-427)は、自らを「五柳先生」と名乗ったが、これは自宅の前に5本の柳があったからのようで、実にシンプルなネーミングである。
「帰去来」(ききょらい)とは「故郷に帰るために、ある地を去ること」(広辞苑)のことだが、これは陶淵明の「帰去来の辞」に由来する。
「帰去来の辞」は陶淵明が41歳の時に、公職を退いて故郷の田園に帰った時の心境を述べたもので、六朝第一の名文と言われている。今日はその最も有名な第一段のみ紹介する。
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「歸去來辭」 「帰去来の辞」 陶淵明
歸去來兮 帰去来兮(かえりなんいざ)
田園將蕪胡不歸 田園将に蕪(あ)れなんとす 胡(なん)ぞ帰らざる
既自以心爲形役 既に自ら心を以て形の役(えき)と為す
奚惆悵而獨悲 奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として独り悲しむ
悟已往之不諫 已往(いおう)の諫(いさ)むまじきを悟り
知來者之可追 来る者の追ふ可(べ)きを知る
實迷途其未遠 実に途(みち)に迷ふこと其れ未だ遠からず
覺今是而昨非 今の是にして昨(さく)の非なるを覚りぬ
舟遙遙以輕 舟は揺々(ようよう)として以て軽く上がり
風飄飄而吹衣 風は飄々(ひょうひょう)として衣を吹く
問征夫以前路 征夫(せいふ)に問ふに前路を以ってし
恨晨光之熹微 晨光(しんこう)の熹微(かび)なるを恨む
(現代語訳)
さあ故郷へ帰ろう。
故郷の田園が今まさに荒れ果てようとしているのに、どうして帰らずにいられるだろうか。
これまで生活のために必死に働き自らの心を犠牲にしてきたが、それを恨み悲しむのはやめよう。
過去の人生を後悔しても仕方ないことを悟り、これから自分がどう生きていくかを考えるべきだ。
少し道に迷ったかも知れないが、大きく道を外れたわけではなく、きっとまたやり直せる。
今までの自分が間違っていたのであり、今このように決断した自分こそが正しいのだ。
故郷へ向かう舟は揺ら揺らと軽やかに進み、微風が私の衣をひらひらと翻して心地好い。
気持ちばかりが急いて、船頭に道のりを尋ねてみるが、故郷は明けきらぬ朝の薄明かりの彼方で、何とももどかしい気持ちになる。
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職を辞して故郷に帰ることに限らないが、人生のうちにこのような決断をすることが何度かあるだろう。でも決断する時点では、結局先のことは殆んどわからないのである。