私は1956年(昭和31年)生まれです。両親があまり音楽に興味がなかったので、こどもの頃に聴いていた(耳に入っていた)音楽と言えば、テレビやラジオから聞こえてくる歌謡曲ばかりでした。

 しかし、世の中では、「ダイヤモンド・ヘッド」(米国ではあまり売れなかったらしい)が日本で大評判となった「ベンチャーズ」が1965年に来日し(実は二度目)、若者の間で「テケテケテケ」の空前のエレキギターブームが起こり、また、1966年には、あの「ビートルズ」が来日し、若者たちの間でロック・ミュージックを求める声が高まっていました。

 

《ダイヤモンド・ヘッド》

 

《シー・ラブズ・ユー》

 

 そのような時代の流れを受けて、日本では、1967年から1969年にかけて「グループ・サウンズ」が大流行しました。グループ・サウンズとは、主として、ヴォーカル、エレキギター、エレキベース、ドラムスで構成される4~5人編成のバンドが演奏する音楽のことで、要するに、海外のロック・グループの形を取り入れた音楽でした。

 しかし、当時の音楽業界はまだ古い体質で、職業作家であるプロの作詞家・作曲家が作った歌をそのまま歌うだけというものが大半でした。もちろん各グループの音楽性にはばらつきがあり、「ゴールデン・カップス」のように、「長い髪の少女」というヒット曲を持ちながら、ライヴではヒット曲は歌わないというポリシーを貫いたバンドもありました。

 

《長い髪の少女》

 

 「タイガース」、「テンプターズ」、「オックス」といえば、当時若い女の子たちに大人気のグループでしたが、王子様のような珍妙な衣装を着て歌わされていました。要するに「アイドルグループ」として扱われていたわけです。

 グループ・サウンズのブームは、1968年夏ごろにピークを迎え、この年には100を超える(!)グループがレコードデビューするという状況でしたが、1970年頃には完全に終焉を迎え、1971年に入るとほとんどグループが解散または自然消滅しました。

 この後、「はっぴいえんど」や「荒井由実」などが注目されるようになり、「自分たちで曲を作り演奏し歌う」という、今では当たり前の音楽の作り方が徐々に広がっていくのですが、短命で終わったグループ・サウンズのブームはその橋渡しをしたのかもしれません(少し過大評価ですか?)。

 

《はっぴいえんど 春よ来い》

 

 次回は、当時を代表するバンドについて個別にお話ししたいと思います。

 

※ Xに画像を投稿しました(2024.8.23)。

https://twitter.com/sasurai_hiropon

 

(以下次回→時期は未定)