Vol.119【音楽 私にとっての「ビートルズ」②】の続きです。

 皆さんは「ザ・ビートルズ・アンソロジー(The Beatles Anthology)」をご存じでしょうか。どのようなものかと言うと、①ビートルズ解散後に制作されたアルバム、②ドキュメンタリービデオ、③ドキュメンタリーブックの3部構成の総称です。これらの制作プロジェクトを総称して「アンソロジー・プロジェクト」と呼びます。 私が今回お話ししたいのは、この中のドキュメンタリービデオについてです。このビデオは、1995年に英国と米国で放送されたドキュメンタリー番組をビデオ化したもの(全8巻)で、後にDVDになっています(私は買っていません。全8巻ではお金が・・・)。

 このドキュメンタリー番組については、日本では、1995年12月31日の18:00~23:30に、「ザ・ビートルズ・アンソロジー」としてダイジェスト版が放送されています。私は、当時この番組をビデオに録画しており、デジタル化して今でも手元にあり、私の宝物になっています(CMを全部削除しました←とても手間がかかりました)。

 以下、日本で放送された「ザ・ビートルズ・アンソロジー」についてお話ししようと思います。

 この番組は、アナウンサーの小宮悦子さんが、まだ無名であったビートルズの4人がかつて演奏していた、リヴァプールにあるナイトクラブ「キャヴァーンクラブ」(The Cavern Club)から中継する場面から始まります。小宮悦子さんは次のようにこの番組を紹介しています。「ジョンの死によって封印されていたビートルズ復活の夢が今年ついに実現しました。解散から25年、新曲の発表とともに彼らが初めて自らの全てを語ったドキュメンタリーが制作されたのです。これから5時間半ビートルズの全てをご覧いただきます」。

 まさにこの紹介どおりの番組で、残されたビートルズの3人や関係者へのインタビュー(残されているジョンのものも含む)、デビュー当時から解散までの膨大な映像、随所にちりばめられた彼らの曲(全て訳詞が表示されている)、さらに、残されたジョンの歌声をもとに3人で制作した2曲の新曲「フリー・アズ・ア・バード(Free As A Bird)」、「リアル・ラヴ(Real Love)」の披露(素晴らしい映像が付いている)など、ビートルズのファンなら食い入るように見てしまう内容です。

 ジョンとポールが知り合って、ポールの紹介でジョージが加入して、初めてレコーディングした演奏(バディ・ホリーの「ザットル・ビー・ザ・デイ」とポールが作った「イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デンジャー」)も紹介されます。

 「ビートルズ(Beatles)」というバンド名の由来も、彼らへのインタビューの中で紹介されます。「乱暴者」という映画にBeetlesという暴走族の集団が出ていて、ジョンがその名前の中のeをaに変えて「Beatles」と命名したそうです。響きとしては「カブトムシ」ですが「ビート」とも読めるという二重の意味を持たせたそうです。

 その後、ベーシストとして「スチュアート」という人が加入し、また、ドイツのハンブルグでの仕事のために、ジョージの紹介で「ピート・ベスト」がドラマーとして加入します。しかし、ライヴでの経験を積んでいき、他のバンドの演奏も聴くようになると、ジョン、ポール、ジョージの間に、スチュアートとピートへの演奏上の不満が出てきます。スチュアートはベースをうまく弾くことができず、悩んだ末に退団します。ハンブルグから戻り、ブライアン・エプスタインに見いだされ、ジョージ・マーティンのオーディションを受けたときに、ジョージ・マーティンはドラムに不満を漏らしました。そして、ピートをやめさせ、ピートが来ない時に4~5回一緒に演奏していたプロのリンゴがドラマーとして加入します。その当時のことを、ジョージは「ピートにはひどいことをした」と語っています。こうして音楽の歴史の残るバンド「ビートルズ」が誕生しました。

 このようにして話しているとどれだけ時間がかかるか分かりませんので、以下は要旨のみということで・・・。

 メジャーデヴュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」から「プリーズ・プリーズ・ミー」、「シー・ラヴズ・ユー」など矢継ぎ早に大ヒットを連発し、彼らは「世界のビートルズ」になっていきます。コンサートをすれば、どの会場も熱狂した女の子の叫び声が響き、演奏など聞こえない状況だったと言います。そして、過度の過密日程で世界を回り心身ともに疲弊し、追い打ちをかけるように、フィリピンでのコンサートで聴衆が暴徒化し命の危険を感じた彼らは、1966年のサンフランシスコ公演を最後に聴衆の前で演奏することを終了し、スタジオでのアルバム制作に専念するようになります。その後に、数々の歴史的な名盤が制作されたことは周知のとおりです。

 ビートルズが解散した要因の一つにオノ・ヨーコさんの存在があったことは確かでしょうが、言葉が良くないかもしれませんが、私は「解散する時期が来ていた」のではないかと思っています。解散後も、4人は独自に活躍しました。

 この「ザ・ビートルズ・アンソロジー」を見ていると、「ビートルズ」というバンドは本当に偉大な存在であり、彼ら4人が出会ったのは奇跡だったんだなと思ってしまいます。

 

 

 

 

 

 

(終わり)

 

 

 

 「X」に画像を投稿しました(2024.7.26)。

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