皆さんは、劇場用アニメーション映画(以下「劇場用アニメ」と言います)「火垂るの墓」を見たことがありますか。私は、もう30数年前に、まだ幼い頃の娘と一緒に映画館で見ました。「火垂るの墓」は1988年に公開されたのですが、当時4才だった長女に「となりのトトロ」が見たいとせがまれて見に行ったところ、併映された作品が「火垂るの墓」だったのです。

 私は、小さい時からアニメが大好きで、「鉄腕アトム」から始まり高校時代にテレビで放映された「ルパン三世」や「アルプスの少女ハイジ」あたりまではよく見ていましたが、大学に入って黒澤明監督の映画などに興味が移り、しばらくアニメから遠ざかっていました。もちろん、「風の谷のナウシカ」(1984年公開)や「天空の城ラピュタ」(1986年公開)のうわさは聞いていましたが、当時は仕事が忙しく、また二番目の子供が生まれて、とても一人で劇場にアニメを見に行く余裕はありませんでした。

 長女といっしょに映画館に行き、映画が始まりました。最初に「となりのトトロ」が上映され、東映動画の遺伝子を受け継いだ(当時の)宮崎駿監督の作品らしく、ワクワクするようなとても楽しい映画でした。少しの休憩時間を挟んで「火垂るの墓」が上映されたのですが、幽霊になった主人公の少年の「昭和20年9月22日夜、僕は死んだ」という独白で始まるこのアニメに、私は衝撃を受けました。映画の上映が終了間近になっても涙が止まらず、「まいったなあ、娘に泣き顔を見られてしまう」と思っていました。

 「火垂るの墓」の監督は「高畑勲」さんという方で、この方は東映動画時代から宮崎駿さんとともに日本のアニメーション業界を牽引してきた方ですが、この二作品が公開された当時は、宮崎駿さんでさえそれほど知名度は高くなく、まして高畑勲さんのことを知っていて見に来た人はあまりいなかったのではないでしょうか。

 個人的な感想ですが、もしも「火垂るの墓」が単独で公開されていたら、東映動画時代の高畑勲さんの監督作品「太陽の王子ホルスの大冒険」(1968年公開)(今では名作と言われています)のように大コケしていたかもしれません(「太陽の王子ホルスの大冒険」は興行収入では東映動画の作品で最下位だそうです)。

 

 

 この「火垂るの墓」というアニメは、「野坂昭如」さんが1967年に発表した同名の小説をアニメ化したものです。時代は太平洋戦争の末期の1945年で、神戸大空襲で母親を亡くし、父親は海軍の軍人で消息不明、残された14才の兄と4才の妹は、遠い親戚の元に身を寄せますが、食糧事情がひっ迫している中で、親戚の家では邪魔者扱いされ、近くの池のほとりの横穴で二人で生活するようになります。兄は、食べ物が乏しい中で、必死に妹を守ろうとしますが、妹は日に日にやせ衰えて行き、ついに死にます。兄は、妹を自分で火葬し、横穴には帰らず、数か月後、三宮駅の構内の柱にもたれて、大小便を垂れ流しながら死にます。本当に悲惨な物語です。

 私は、このアニメを映画館で見てから数十年経った頃にDVDを中古で買ったのですが、このDVDは一度しか見ていませんでした。その理由は「見ていてあまりにも辛すぎる」ということです。妹の節子が本当に可愛らしく、兄の清太が妹を守ろうとするさまは胸に迫り、清太の必死の努力にもかかわらず節子は次第に衰えて死にます。節子の可愛さも衰えていくさまも、高畑勲監督は、言葉は悪いですが、リアリティを重視した「冷徹な視線」で描いているので、なおさら心に食い込んできます。

 今回この稿でお話しするにあたって、このアニメを久しぶりに見たのですが、やはり見ているのがつらかったです。

 私の個人的な思いですが、高畑勲監督も、この作品が興行的に成功するとは思っていなかったんじゃないのかなと思っています。それでも、この作品を後世に残してくれたことに、心から敬意を表したいと思います。

 なお、作画監督は、後に「魔女の宅急便」、「もののけ姫」などの作画監督を務められた「近藤喜文」さんでした。

 

 

※ Xに画像を投稿しました(2024.5.22)。

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