皆さんは、昭和の時代にテレビ放映された「愛の戦士レインボーマン」(以下「レインボーマン」と言います)という特撮ヒーローものの番組をご存じでしょうか。

 今回は、このレインボーマンという番組についてお話ししようと思いますが、まずは次の映像を見ていただけるでしょうか。これは、主人公であるレインボーマンの宿敵である、悪の組織「死ね死ね団」(←何というネーミングでしょう)のテーマソングです。

 

 

 いかがでしょうか。これが子供向け特撮ヒーローものの番組の中で歌われていたのです。今の時代だったら一発で放送禁止になり、SNSで大炎上という内容ですね。しかし、洗練された作曲・演奏に乗って強烈な内容の歌詞が歌われ、妙に心に残ります。途中に「あぁー」という色っぽい女性の声が入り、また、男性ボーカルが力が入りすぎて演奏とズレているのもご愛敬ですね。

 「愛の戦士 レインボーマン」は1972年10月から1973年9月にかけて全52話が放映されました。ヤマトタケシという青年が、ヒーローであるレインボーマンに変身して、日本をぶっ潰そうとたくらむ死ね死ね団と戦う物語です。原作は、「月光仮面」という大ヒット作を生み出した「川内康範」さんです。

 子供向け番組は、1960年代後半から圧倒的にアニメ番組が多くなり、「悪魔くん」、「怪獣ブースカ」、「仮面の忍者赤影」、「忍者ハットリ君」が放映された1966年以降は、実写版の番組でこれといったヒット作はなかったと思います。1972年~1973年には「超人バロムワン」、「ウルトラマンタロウ」、「仮面ライダーV3」などが放映されていますが、これらの番組は、ヒーローものとはいっても、それまでのストーリー性があるドラマとは一線を画しているのではないでしょうか

 このような背景がある1972年に、レインボーマンのような「怪作」が作られたことが、今から思えば不思議な気がします。

 原作者の川内康範さんによると、レインボーマンの基となったのは、1960年に放映された「新七色仮面」、「アラーの使者」であるとのことです。ただ、レインボーマンは、単純な勧善懲悪ものではありません。共に戦う仲間もなく、日本を守るために孤独な戦いを続ける主人公の私生活やヒーローとしての苦悩に重点を置き、また、主人公をヒーロー番組の人物設定にありがちな完全無欠な性格としていません。

 この物語の発端からして、およそヒーローものの物語とは思えないものです。高校時代にアマチュアレスリングで活躍した主人公のヤマトタケシ(←なぜカタカナなんだろう?)は、自分の不注意で、自分の妹に交通事故による足の障害を負わせてしまいます。妹の治療費を稼ぐために、ヤマトタケシはプロレスラーになります。そして、技に磨きをかけて、有名になって金持ちになるために(←動機が不純ですね)、インドの山奥に住む奇蹟の聖者「ダイバ・ダッタ」のもとへ赴きます。年老いたダイバ・ダッタは、ヤマトタケシの中に伝説の七色の戦士レインボーマンの素質を見出し、ヤマトタケシはその弟子となり長く苦しい修行を続けます。修行を続けるうちに、ヤマトタケシはダイバ・ダッタの偉大な力を目の当たりにして、心を入れ替え、自分の力を人々の役に立てようと誓います。

 やがて月日は流れ、老衰したダイバ・ダッタはヤマトタケシにその魂を委ねた後に死にます。「お師匠様」(ダイバ・ダッタのこと)の魂と一体になったヤマトタケシは、夜明けとともに、「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」と一心に唱えます。すると、七色の光とともにヤマトタケシはレインボーマンに変身していました。レインボーマンは空に舞い上がり、使命を果たすために祖国に向かうのでした。

(続く)

 

 

 

 

 

※ ツイッターに画像を投稿しました(2024.1.30)。

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