フェデリコ・フェリーニはイタリアが誇る映画監督です。

 私が最初に見たフェリーニ監督の映画は、高校生の頃に見た「アマルコルド」(1973年:製作した年→以下同じ)です。この映画は、イタリアの片田舎に住む15才の少年がいろいろな奇妙な経験をして大人の階段を上っていく様子を描いた喜劇です。この映画を見た時の私の感想は「何かおもちゃ箱をひっくり返したような映画だな」というものでした。具体的に覚えている場面は、精神病院に入院していて外出許可を得た少年の叔父さんが、突然大きな木に登って「女が欲しい!」と叫ぶ場面と、少年をからかって誘惑する豊満な(豊満すぎる?)中年女性が、自分の乳房に少年の顔を押し付けて、「吹くんじゃないのよ、吸うのよ」と言う場面ぐらいです。奥手の高校生だった私には、ちょっと理解できない世界でした。

 私は、大学生になってからよく映画を見ていました。フェリーニ監督の作品は、「8 1/2」(1963年)、「サテリコン」(1968年)、「ローマ」(1972年)などを見ているはずですが、どの作品も断片的にしか覚えていません。どうも、フェリーニ監督の作品は、私の感性では理解が難しいようです。

 しかし、そんな私でも、「道(La Strada)」(1954年)だけは今でも心に残っています。この映画は、旅芸人の粗野な男ザンパノと、貧しさのためにその男に売られた女ジェルソミーナの、奇妙な生活を描いています。この作品では、フェリーニ監督は非常に抑えた演出をしていて、かえってそれが見る人の心を打ちます。特に、とても純粋だが少し知恵遅れのジェルソミーナを演じたジュリエッタ・マシーナ(フェリーニ監督の奥さんです)の演技が素晴らしく、最後の場面のザンパノの孤独を浮き彫りにしています。

 

 

 以下、あらすじを紹介します(ウィキペディアに掲載されていたあらすじがとても素晴らしいものなので、かなり参考にさせて頂きました)。

 旅芸人のザンパノは、体に巻いた鉄の鎖を切る大道芸を売り物にしていたが、芸のアシスタントだった女が死んでしまったため、女の故郷へ向かい、女の妹で、頭は弱いが心の素直なジェルソミーナをタダ同然で買い取る。ジェルソミーナはザンパノとともにオート三輪で旅をするうち、芸を仕込まれ、女道化師となるが、言動が粗野で、ときに暴力を振るうことに加えて、平気で他の女と寝るザンパノに嫌気が差し、彼のもとを飛び出す。

 あてもなく歩いた末にたどり着いた街で、ジェルソミーナは陽気な綱渡り芸人である通称「イル・マット」の芸を見る。追いついたザンパノはジェルソミーナを連れ戻し、あるサーカス団に合流する。そこにはイル・マットがいた。イル・マットとザンパノは旧知であるが、何らかの理由(作中では明示されない)で険悪な仲だった。イル・マットはザンパノの出演中に客席から冗談を言って彼の邪魔をする一方で、ジェルソミーナにラッパを教える。

 ある日、イル・マットのからかいに我慢の限界を超えたザンパノは、ナイフを持って彼を追いかけ、駆け付けた警官に逮捕される。この事件のためサーカス団は街を立ち去らねばならなくなり、責任を問われたイル・マットとザンパノはサーカス団を解雇される。ジェルソミーナはサーカス団の団長から「一緒に来ないか」と誘われるが、自分がサーカス団の足手まといになると感じて街に残ることを選ぶ。それを知ったイル・マットは、「世の中のすべては何かの役に立っている。それはさまだけがご存知だ。おまえもザンパノの役に立っているからこそ残ったんだ」と告げ、ザンパノのオート三輪を運転して、彼が留置されている警察署へジェルソミーナを送り届け、立ち去る。

 ジェルソミーナとザンパノは再び二人だけで大道芸を披露する日々を送る。ある日ザンパノは、路上で自動車を修理するイル・マットを偶然見かけ、「いいところで出会った」とばかりに彼を殴り飛ばす。自動車の車体の角に頭をぶつけたイル・マットは、打ち所が悪く、そのまま死んでしまう。ザンパノは自動車事故に見せかけるため、イル・マットの自動車を崖下に突き落とし、ジェルソミーナを連れてその場を去る。それ以降、ジェルソミーナは精神がおかしくなり、突然涙声で「彼が死んじゃうよ」と繰り返すようになり、大道芸のアシスタントとして役に立たなくなる。ザンパノはある日、道端で食事をした後に居眠りするジェルソミーナを置き去りにして立ち去る。ザンパノは、立ち去る前に、眠るジェルソミーナに毛布を掛けてやり、いくばくかの金と彼女の愛用のラッパを置いていった。ザンパノにも少しの良心があったのだろうか。

 数年後、ある海辺の町で鎖の芸を披露するザンパノだったが、彼の芸はかつての精彩を欠いていた。ザンパノが町を散歩していると、洗濯物を干していた地元の娘が、ザンパノにとって耳慣れた曲を口ずさんでいるのを聞く。それはかつてジェルソミーナがラッパで吹いていた曲であった。ザンパノはその娘から、ジェルソミーナと思われる女がこの町に来て、娘の家にかくまわれが、毎日泣いて暮しやがて死んだことを聞き出す。その夜、ザンパノは酒場で正体がなくなるまで酒を飲み、周りの人に因縁をつけ袋叩きに合い、酒場から放り出される。フラフラと町をさまよい、海岸にたどり着いたザンパノは、海の水で顔を洗い、砂浜に座り込む。しばらく座っていたが、ふと周りを見回して自分を守ってくれるものは何もないことに気付く。愛を知らない男の当然の結末である。不安が極致に達したザンパノは唇を震わせて号泣する。

 カメラが引いていき、ニーノ・ロータが作曲した甘く悲しいテーマ曲がかぶさる。

 

 

 

※ 「X」に画像を投稿しました(2023.11.18)。

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