私は昭和昭和30年代に子供時代を過ごしました。

 その頃のお笑いはどんなものだったかと考えると、今のようにバラエティ番組で芸人が笑いを取るという形ではなく、お笑い専門の番組、例えば「笑点」とか「大正テレビ寄席」などの演芸番組に、落語家や漫才師が出演するという形でした。また、関西のお笑いとしては、何と言っても「吉本新喜劇」でした。

 今思い出しても、「本当に面白い芸人の方が一杯いたなあ」と思ってしまいます。そのような私の記憶に残っている面白かった芸人の方々を、できるだけ古い順にご紹介したいと思います。

 

ミヤコ蝶々・南都雄二

 ミヤコ蝶々さん(1920~2000)は、長らく関西の上方漫才・喜劇界をリードしてきた方でした。昭和30年(1955年)にラジオ番組として始まった視聴者参加型の「夫婦善哉」というトーク番組で、夫の「南都雄二」さんとともに司会を務め、大人気となったこの番組は昭和38年(1963年)にテレビ番組となって、長寿番組となりました。

 ミヤコ蝶々さんの生粋の大阪人(生まれは東京だそうです)としての歯に衣着せぬしゃべくりに、南都雄二さんが絶妙なツッコミを入れるという、典型的な大阪漫才のスタイルでした。

 私は、下品なギャグをこれでもかと連発するコテコテの関西芸人の芸風(間寛平さん、辻本茂雄さんなど)も大好きなのですが、古き良き時代の少し上品な「ミヤコ蝶々・南都雄二」の芸風も好きです。

 

 

《南洲太郎》

 アルフィーの坂崎幸之助さんが、自分のラジオ番組で、時々甲高い声で「おじゃまします!」と言っていますが、これは南洲太郎さんのギャグです。

 南洲太郎さんの芸は「ギター漫談」です(三味線に持ち替えたりもされていました)。楽器を弾きながらの話芸と言えば、「牧伸二」さん、「堺すすむ」さん、「テツ&トモ」さん、マイナーなところでは「タブレット純」さんなど、本当に面白い芸人の方が多いです。

 南洲太郎さんは、ギターの腕は一流で、またその歌声が素晴らしい。しかし、それを売り物にするのではなく、何と言うか、見ている人の期待を絶妙に裏切って、それを笑いに繋げるという芸風で、私はこの人の漫談が大好きです。こどもの頃は「大正テレビ寄席」などによく出演されていました。YouTubeで検索しましたが、当時の映像は数えるほどしかアップされていなくて少し寂しいです。

 

 

《獅子てんや・瀬戸わんや》

 このお二人も、昔のオーソドックスな漫才のスタイルでした。ハゲでチビ(失礼!)のてんやさんがボケ役、大柄なわんやさんがツッコミ役で、途中までは普通のおもしろいやり取りですが、次第にてんやさんが暴走して、最後にはわんやさんがキレて「ワーッ!」とか叫ぶという展開が多かったように思います。安定した芸風でいつ見ても面白かった。

 特に記憶に残っているのが、途中からてんやさんが「たまごの親じゃ ピーヨコちゃんちゃん ピッピッピーヨコちゃんちゃん アヒルじゃガーガー」というのを節をつけて歌い出し、わんやさんが「ところでね・・」と次の話題に入ろうとすると、かぶせるように「たまごの親じゃ ピーヨコちゃんちゃん~」歌い出し、それが際限なく続き、しばらく我慢していたわんやさんが最後には怒る、というネタです。

 YouTubeで探したのですが、残念ながら「ピーヨコちゃん」は見つかりませんでした。

 

 

(以下次回→時期は未定)

 

※ ツイッターに画像を投稿しました(2023.7.18)。

https://twitter.com/sasurai_hiropon