Vol.60【小説 夏目漱石の「夢十夜」①】の続きです。
夏目漱石の小説のなかで、「夢十夜」はとても特異な小説で、1編当りの枚数は短いのですが、その中に、長編でも及ばない強烈なイメージが込められていると思います。
引き続き、各篇ごとに、簡単に内容を話したいと思います。
《第三夜》
六つになる子供を背負って闇の中を歩いている。確かに自分の子供であるが、いつの間にか目が潰(つぶ)れて、頭は丸刈りになっている。「目はいつ潰れたのかい」と聞いたら「なに昔からさ」と答えた。こどもの声だが言葉つきはまるで大人である。田んぼが左右に広がる細い道である。「田んぼにかかったね」と背中で言った。「どうして解(わか)る」と聞いたら「だって鷺(さぎ)が鳴くじゃないか」と答えた。すると、言ったとおりに鷺が二声ほど鳴いた。我が子ながら怖くなり、どこかに捨てるところはないかと向こうを見ると、闇の中に大きな森が見えた。背中で「ふふん」と声がした。「何を笑うんだ」と問うと「おとっつぁん、重いかい」と言う。「重かあない」と答えると「今に重くなるよ」と言った。
しばらく行くと、道が二股になった。イモリの腹のような赤い字で行き先が書いてある。「左がいいだろう」と小僧が命令した。そちらは先ほど見た大きな森である。よく盲目(めくら)のくせに何でも知ってるなと考えながら歩いて行った。何だか嫌になって、早く森に捨ててしまおうと思って道を急いだ。
背中で「ちょうどこんな晩だったな」と声がした。「何が」と際(きわ)どい声を出して聞いた。「何がって知ってるじゃないか」と答えたのを聞いたら、何だか知ってるような気がして、分からないうちに早く捨ててしまおうと、足を早めた。
背中で声がした。「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根元だ。お前がここで俺を殺したのは今からちょうど百年前だね」。その言葉を聞いて、ちょうど百年前に一人の盲目(めくら)をここで殺したという自覚が忽然(こつぜん)として頭の中に起こった。「俺は人殺しだったんだな」と思ったとたんに、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。
《第四夜》
広い土間の真ん中に涼み台があり、爺さんが一人で酒を飲んでいる。裏から水を汲んできたその店のおかみさんが「お爺さんは幾年(いくつ)かね」と聞くと、「幾年か忘れたよ」と澄ましている。爺さんは大きな茶碗で酒をぐいと飲んで、ふうと長い息を白い髭の間から吹き出した。おかみさんが「お爺さんの家は何処(どこ)かね」と聞くと「臍(へそ)の奥だよ」と答える。「どこへ行くかね」と聞くと「あっちへ行くよ」と答える。
爺さんが表へ出た。柳の下に子供が三、四人いた。爺さんは笑いながら腰から手拭いを出し、細長くして地面の真ん中に置いた。「今にその手拭いが蛇になるから、見ておろう、見ておろう」と言い、笛をぴいぴい吹きながら、手拭いの周りを何度も回った。
やがて、爺さんは笛をぴたりと止めた。そうして、肩に掛けた箱の口を開けて、手拭いの首をちょっとつまんで放り込んだ。「こうしておくと、箱の中で蛇になる。今に見せてやる。今に見せてやる」と言いながら、爺さんは真直(まっすぐ)に歩き出した。爺さんは時々「今になる」と言ったり、「「蛇になる」と言ったりして歩いていく。仕舞(しまい)には「今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る」と唄いながら、とうとう河の岸へ出た。
爺さんはざぶざぶと河の中へ這入(はい)り出した。始めは膝ぐらいの深さであったが、だんだん腰から胸のほうまで水に浸かって見えなくなる。それでも爺さんは「深くなる、夜になる、真直(まっすぐ)になる」と唄いながら、どこまでも真直に歩いて行った。そうして顔も頭もまるで見えなくなってしまった。
爺さんが向こう岸へ上がった時に蛇を見せるだろうと思って、自分は、たった一人で何時(いつ)までも待っていた。けれども爺さんは、とうとう上がって来なかった。
(続く→時期は未定)