漫画家の「松本零士」さんが、2023年(令和5年)2月13日に亡くなりました。今回は、松本零士さんを偲んで、「光速エスパー」について話したいと思います。

 松本零士さんは、かつて「光速エスパー」という漫画を描きました。この作品は、「少年ブック」に1968年6月号から連載され、少年ブックが休刊となったことに伴い、「少年ジャンプ」に1969年5月号から連載されました。私が12~13才の頃で、もう少年漫画は読まなくなってきた頃だったので、作品としては読んだことはないのですが、その絵柄が独特で、とても心を惹かれた記憶があります。今から思えば、この頃、もうすでに誰も真似のできない「松本零士」としての絵柄が確立されていたのではないかと思います。

 この「光速エスパー」という作品は、もともとは、家電メーカーの「東芝」がそのマスコットキャラクターのデザインを漫画家の「あさのりじ」さんに依頼したことが誕生の発端です。このキャラクターは、電気屋さんのシャッターに描いてあったり、マスコット人形があったりして、私もよく覚えています。このマスコットキャラクターの人気が急上昇し、月刊漫画雑誌「少年」の1966年1月号から、あさのりじさん本人による漫画の連載が開始され、また、東芝をスポンサーとする特撮テレビドラマ「光速エスパー」が1967年8月から放映されました。

 

 

 

 このテレビドラマは私の11才の時に放映されましたが、その内容については断片的にしか覚えてないので、YouTubeで検索したところ、第1話「エスパー誕生」がアップされていました。以下はそのあらすじです。

 邪悪なギロン星人に侵略され、やむなく故郷であるエスパー星を爆破して地球に逃れてきたエスパー星人の夫婦は、主人公のヒカルとその両親が乗っていた気球を、誤って衝撃波で爆発させてしまいます。その結果、ヒカルはかろうじて生き残りますが、両親は死んでしまい、責任を感じたエスパー星人の夫婦(以下「お父さん」、「お母さん」と言います)は、ヒカルの両親に姿を変え、ヒカルとともに生きていく決心をします。

 一方、ヒカルの叔父である光波エネルギー研究所の浅川博士は、数々の能力を持つ「強化服」の開発を進めていましたが、なかなか完成に至らず暗礁に乗り上げていました。

 エスパー星人は超能力を持っており、お母さんはテレパシーの能力があります。その能力によってギロン星人の生き残りが地球に迫っていることを察知します。地球人の能力とエスパー星人の超能力を合体させれば、ギロン星人に打ち勝ち地球の危機を救うことができるのではないかと考えたお父さんは、疲れて転寝(うたたね)をしている浅川博士の意識に入り込み、強化服の完成のために必要な構造式を教え、この構造式によって強化服は完成します。また、お母さんは、失った故郷のエスパー星を希望に繋げたいとの思いから、強化服はヒカルが着て、それを「エスパー」と名付けることを希望します。お父さんは、浅川博士の意識を操作し、ヒカルが強化服を着ることとなり、「光速エスパー」が誕生します。

 ヒカルがテスト飛行を行っている時に、すでに地球に侵入していたギロン星人が、ある国の戦闘機のパイロットの意識を乗っ取り敵国に向かわせます。その戦闘機には水爆が搭載されており、それを敵国に投下させようというのです。そのような事態になれば、その敵国は報復で水爆を発射し、人類は破滅を迎えることになります。浅川博士は光速エスパーに出動を命じ、高速エスパーは、間一髪、発射された水爆を宇宙のかなたに運び、そこで爆発させます。

 これが第1話のあらすじです。かなり重い内容だったんですね。

 

 

 「バババババビューンと空を飛ぶ~」という、あのワクワクするような主題歌は「服部良一」さんの作曲だったと聞いています(「星一」名義になっている回もあります)。

 よく覚えていることがあります。「チカ」というロボットの小鳥が出てくるんですが、光速エスパー(ヒカル)が「チカ」と呼ぶと肩のところにヒョコッと出てきて、いろいろな情報を伝えて光速エスパーを助ける、という場面をよく覚えています。この小鳥はお母さんの意識が乗り移っていて、的確な情報を伝えるとともに、「ガンバレ!」と光速エスパーを励ましたりもします。

 

 

 このテレビドラマは、すぐに再放送されるほどの大変な人気となり、スポンサーの「東芝」が漫画の再掲載を希望したことが、松本零士版の光速エスパーの連載に繋がったそうです。

 

※ ツイッターに画像を投稿しました(2023.3.5)。

https://twitter.com/sasurai_hiropon