Vol.25【音楽 「THE ALFEE」①】の続きです。
前回は、「THE ALFEE」(以下「アルフィー」と言います)がプロ活動を開始した頃の日本の音楽の状況などをお話ししました。
アルフィーについて話す場合、アルフィーの三人、すなわち高見沢俊彦さん、坂崎幸之助さん、桜井賢(まさる)さんの三人(以下「高見沢さん」、「坂崎さん」、「桜井さん」と言います)の高校時代から話すことになります。
高見沢さんと桜井さんは、東京の港区にある「明治学院高校」で同学年でしたが、高校時代は二人は別のクラスで、特に親しくはなく、顔見知りというぐらいだったそうです。坂崎さんは東京の墨田区にある「隅田川高校」に通っていました。
高校時代、桜井さんは「コンフィデンス」というグループで「サイモン&ガーファンクル」の曲などを歌っていて、高見沢さんはロックバンドで「レッドツェッペリン」の曲などをやっていて、また、坂崎さんはフォークソングにどっぷり浸かっていました。三人の音楽に対する志向はバラバラでした。
桜井さんと坂崎さんは、高校3年の時に、銀座山野楽器が主催したアマチュア・フォーク・コンテストに出場します。この時、桜井さんはコンフィデンスのメインボーカルとして、坂崎さんはソロでの出場でした。この大会の後、坂崎さんはしばらく「へそ下三寸」というグループで活動するのですが、へそ下三寸は夏ごろには活動休止の状態となり、どうしようかと思っていた時に、坂崎さんは、たまたまコンフィデンスのメンバーの一人と顔を合わせ、コンフィデンスが練習しているところに遊びに行くことになります。この時、コンフィデンスは、その翌日に、文化放送の「三ツ矢フォークメイツ」という番組の決勝大会に出ることになっていました。なぜか無性に彼らとやりたくなった坂崎さんは、彼らに頼み込んで、翌日の決勝大会に一緒に出場します。この大会の審査員に「小室等」さん(「上条恒彦と六文銭」の「出発の歌」の作曲者として有名)がいて、小室等さんから「今作っている映画の音楽を担当しているんだけど、君たち一緒にやらないか」と声を掛けられて、彼らはいきなりレコード作りに参加することになります。坂崎さんもなし崩しにコンフィデンスの一員となります。コンフィデンスとしては、シングル、アルバムをそれぞれ1枚リリースしています。
その後、3人とも「明治学院大学」に進学するのですが、ある日高見沢さんがキャンパスを歩いていると、坂崎さんたちが練習していて、顔見知りになった高見沢さんと坂崎さんは、「ガロ」や「CSN&Y」などを接点として意気投合します。そして、高見沢さんは坂崎さんから「映画音楽のレコード制作の話が来てるんだけど、いっしょにやらないか」と誘われて、高見沢さんはそれに参加します。
このレコード制作がきっかけとなって、コンフィデンスは、芸能プロダクションである「田辺エージェンシー」のオーディションを受け、大学二年の8月にレコードデビューします。デビュー曲は、松本隆さん(!)が作詞し「筒美京平」さん(!)が作曲した「夏しぐれ」という曲でした。コンフィデンスはそうとう評価されていて「期待の新人」という扱いだったそうです。グループ名は、いつの間にか変えられて「アルフィー(ALFIE・・「ALFEE」ではない)」となっていました。要するにアイドルタレントと同じ扱いで、彼らには何一つ決定権はなかったそうです。この「夏しぐれ」は全く売れませんでした。
この時から、3人の長い苦難の日々が始まるのですが、それは次回に話したいと思います。
※ ツイッターに画像を投稿しました(2022.10.10)。
https://twitter.com/sasurai_hiropon
(続く→不定期)