「斉藤哲夫」というシンガーソングライターをご存じでしょうか。

 シンガーソングライターという言葉自体がもう古くなってしまいました。今は、自分で曲を作って演奏して歌ってSNSなどで発表するのは当たり前のことになっていますね。

 いわゆる「フォークソング」が人々に支持されるようになる1970年代より以前の日本の音楽の状況は、今とは全く違いました。作詞家の「先生」、作曲家の「先生」が作った曲を、歌手が「歌わせていただく」ということが当たり前でした。歌手が、自分が作った曲を歌えるチャンスは非常に少なかったのです。フォークソングの元祖のように言われているマイク真木さんや加藤登紀子さんでさえ、別の作詞・作曲家の方が作った曲を歌っていました。

 話は飛びますが、かつて大評判になった、ミノルタというカメラメーカーのCMをご存じでしょうか。若い頃の宮崎美子さんがジーンズを脱いで水着になるCMです。このCMは、宮崎美子さんの健康的な美しさもあって大評判になりました。今でも、YouTubeで「宮崎美子」と検索すると最初にこのCMの映像が出てきます。

 このCMのバックに流れていた「いまのキミはピカピカに光って」という曲を歌っていたのが斉藤哲夫さんで、この曲も大ヒットしました。

 

 

 しかし、この曲は斉藤哲夫さんが作ったものではなく、作詞:糸井重里、作曲:鈴木慶一(敬称略)の曲でした。なぜこの曲を斉藤哲夫さんが歌うようになったのか、今となっては私には想像もできませんが、この曲が大ヒットしたことについては、誤解を恐れずに言えば、斉藤哲夫さんにとって不幸であったと思っています。二匹目のドジョウを狙って(?)、同じ作詞・作曲コンビでリリースした「ひょんなことから有頂天」という曲が全く売れず、その後、斉藤哲夫さんは、約10年間ミュージックシーンの表舞台から姿を消します。トラックの運転手をしながらライブ活動をしていたと聞いています。

 「いまのキミはピカピカ・・」以前の斉藤哲夫さんのことです。1970年代にURC」という音楽のレーベルがありました。日本で最初のインディーズ・レーベルと言われています。「URC」というのは、「アングラ・レコード・クラブ」の頭文字をとった略称です。「アングラ」という言葉は、今では死語なんでしょうね。「アンダーグラウンド」つまり「地面の下」の略語で、当時よく使われていました。この音楽レーベルは、当時の若者が支持した、政治批判のプロテストソング・反戦歌などの、放送するに相応しくないと言う理由でメジャーで発売出来ない楽曲を自主制作で発売する目的で設立されました。このレーベルは、当時多くの若者から支持されていた「岡林信康」、「五つの赤い風船」、「高田渡」(敬称略)などのアルバムを出していました。

 斉藤哲夫さんのデビュー・アルバム「6/8 君は英雄なんかじゃない」は、1972年にURCからリリースされました。このアルバムは、プロテスト色が非常に強いアルバムです。収録されている曲は、「悩み多き者よ」、「斧をもて石を打つがごとく」、「日の丸」、「とんでもない世の中だ」などで、題名を聞いただけで重い曲であることが想像できます。その重い歌詞から、斉藤哲夫さんは「歌う哲学者」と呼ばれていました。アルバムには入っていませんが、シングルとしてリリースされた「されど私の人生」は、吉田拓郎さんが歌ってかなりの支持を受けていました。

 デビュー当時の斉藤哲夫さんは、「いまのキミはピカピカに光って」とは全く違う曲を作り歌っていたんです。

 

 

 

(次回に続く→時期は未定)