「楠勝平(くすのきしょうへい)」(以下「楠勝平さん」と言います)という漫画家をご存じでしょうか。楠勝平さんは、1960年代後半から70年代初めにかけて、主として漫画月刊誌「ガロ」に、人の世の儚さや江戸庶民の哀歓を描いた優れた短編作品を発表し、わずか30才でこの世を去った漫画家です。

 私は、1974年(昭和49年)に青林堂が発行した「月間漫画ガロ 8月増刊号 楠勝平特集」という本を持っています。この本は、「ガロ 臨時増刊号」として発行されたもので、通常の月間のガロと同じ体裁です。このシリーズでは、他に「つげ義春特集」①、②を持っています。

 つげ義春さんについては「ねじ式」で衝撃を受けていたので、「つげ義春特集」を購入したことは納得できるのですが、その当時は全く読んだことのなかった楠勝平さんの作品集を、なぜ購入したのか、今となっては分かりません。もしかしたら、青林堂に直接申し込んで、3冊買えば安くなるなどということがあって、つげ義春さんのついでに購入したのかもしれません。今では、この「楠勝平特集」は私の宝物です。

 Vol.30【漫画 COMとガロ】でも話させていただいたことですが、楠勝平さんの作品群は、私の大好きな小説家である藤沢周平さんの小説に匹敵する優れた作品であると今でも思っています。

 楠勝平さんの作品集はほとんどが絶版となっていますが、現在(令和4年3月現在)購入できる本があります。「楠勝平コレクション 山岸凉子と読む」(筑摩書房)です。

 私が好きな楠勝平さんの作品について、一つだけその内容を紹介したいと思います。どうしてもネタバレとなってしまうことをお許しください。

 

《おせん》

 時代は江戸時代です。主人公の「おせん」は、叔父さんの焼き芋屋で働く町娘です。神経痛で動けない叔父さんに代わり、忙しく店を切り盛りしている、気性の明るい優しい娘です。両親はたぶん亡くなっていて、弟と二人、叔父さんの家で、貧乏ながらも仲良く暮らしています。ある時、ふとしたきっかけで大工の「安」と知り合い、二人は恋人同士になります。安の家は繁盛している大工で、生活は裕福です。安はお金の苦労を知りません。

 安は、おせんを、自分を可愛がってくれている裕福な商人の叔父さんに紹介したくなり、その家に連れていきます。おせんは、その家構えの大きさに驚きます。ひとしきり三人でお話しし、客が来た叔父さんは席を外します。ホッとした二人は笑いながらじゃれあいます。その時、おせんが、誤って大きな花瓶を割ってしまいます。この花瓶は五両(今の価値で100万円ぐらいか)もする高価なものでした。おせんの頭に「弁償」という言葉が浮かび、貧乏な暮らしの中ではとても払えないと思います。その時、とっさに口走ります。「あんたが私を突き飛ばしたからよ!あんたがやったんだ!」。おせんはハッと我に返り、泣きながらその家から走り去ります。安は呆然として、頭を抱え「なんという女だ・・」と言います。ふすまの陰から見ていた叔父さんは言います。「なぜ追わぬ。あの子は愛情のあるいい子だ。今の生活で頭の中が一杯だっただけじゃ」と。安は「よしてくれ!あの女はああいう汚い女なんだ!」と言い、したたかに酒を飲んで、土砂降りの雨の中をさまよい、雨の中で転んで泣き出します。それを遠くから見ていたおせんも、座り込んで泣いています。