誰もが知っているゲームなので、いろいろな方によって書き尽くされていると思いますが、昭和じじぃの思い出として書かせていただきます。

 バイオハザード2(以下「バイオ2」と言います)は初代プレイステーション(以下「PS1」と言います)用のゲームソフトとして1998年にカプコンから発売されました。私が42才の時ですね。

 私が子供の頃はもちろんコンピューターゲームなどはなく、ファミリーコンピュータ(以下「ファミコン」と言います)が発売されたのが1983年ですから私が27才の時です。PS1については、発売されたのが1994年ですからファミコンの11年後に発売されたんですね。

 私は、ファミコンが発売されるまでは、当時流行していたパソコン(NECのPCシリーズが主流でした)でドアドアやロードランナーなどのゲームをしていましたが、その延長で、ファミコンでスーパーマリオブラザーズなどをやっていました。私の息子がゲームが好きだったので、その後、息子と一緒にスーパーファミコンなどでマリオカートやカービィボールなどで遊んでいました。

 話が長くなりました。バイオハザード(以下「バイオ1」と言います)は1996年に発売されましたが、私はバイオ2を先に買って、その後でバイオ1を買ったと思います。その当時、バイオ1は「なんだかめんどくさそうなゲームだな」と思った記憶があり、買わないでしばらく様子を見ていたんでしょう。

 バイオ2を買った理由は今となってははっきりしませんが、たぶん、テレビコマーシャルなどで、映画のようにきれいなグラフィックを見たからだと思います。これはファイナルファンタジーⅧも同じです。私は映画が好きなものですから。

 バイオ2をプレイしてみて、ちゃんとしたストーリーがあることに驚きました。今の若い方は「そんなことは当たり前だろう」と思うでしょうが、当時はアクションゲームが主流で、映画のように物語が進むゲームというのは、私にとって初めての経験でした。ファイナルファンタジーシリーズをやっていた人にはロールプレイングゲームというのは当たり前だったんでしょうね。

 レオン編とクレア編、さらにそれぞれに表と裏があり、それぞれのゲームが違う展開をしながら相互にリンクしているという作りにも感心しました。今でもよくできたゲームだなと思います。

 「BIOHAZARD 2 公式ガイドブック」(発売元:㈱アスペクト)という攻略本を買って、本当によくプレイしました。アナザーシナリオ「The 豆腐 Surviver」にもたどり着きました。今でも、その時作った十数枚の手書きのメモが残っています。アナザーシナリオにたどり着くにはプレイ時間やセーブ数に厳しい制限があったものですから、そのメモを見ながら必死でプレイしていました。今でもメモリーカードにセーブデータが残っています。ただし、「The 豆腐 Surviver」は武器がナイフだけでゾンビがうじゃうじゃ出てくるので、アクションゲームが苦手な私は最後までクリアしていません。関西弁で「なんやちゅうねん」などとセリフが入っていたと記憶しています。

 バイオ2は今でも時々思い出したようにプレイしていますが、アクションゲームが苦手な私にとっての強い味方がありまして、1998年に発売された「バイオハザード ディレクターズカット デュアルショックver.」(カプコン)で、このソフトには「コンプリートディスク」というものが付いており、これを使うと、最初から無限ロケットランチャーや無限コルトパイソンを使うことができます。ロケットランチャーをドカンドカンと打ちながらゾンビやクリーチャーを蹴散らしながらプレイするのはストレスの解消になります。

また、このコンプリートディスクには、バイオハザード1.5とも言うべき、エルザという女性が主人公の試作品の映像も入っています。