Vol.80【1970年の「週刊少年マガジン」、「別冊少年マガジン」①】の続きです。

 引き続き、1970年(昭和45年)の「週刊少年マガジン」(以下「少年マガジン」と言います)のことについてお話しさせてください。

 今回は、ジョージ秋山さん(代表作は「浮浪雲」)が描いた漫画「アシュラ」についてお話ししたいと思います。

 「アシュラ」は、少年マガジンの1970年32号から1971年22号にかけて連載されました。ジョージ秋山さんのそれまでの作品は、「ガイコツくん」、「パットマンX」、「ほらふきドンドン」などのギャグ漫画でしたので、私がこの「アシュラ」を読んだ時の衝撃は相当なものでした。

 平安時代の末期が舞台です。この頃「養和の飢饉」という大飢饉が発生しました。大量の餓死者が発生し、「方丈記」には、「築地のつら、道のほとりに、飢え死ぬもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき香世界に満ち満ちて、変わりゆくかたち有様、目もあてられぬ事多かりき」と記述されているそうです。

 屍(しかばね)が累々と横たわっている状況で、空腹のあまり人を殺して人肉をむさぼり喰らう者もいたということです。主人公のアシュラを身籠った母親は気が狂っていて、アシュラを産み落としますが、やがて空腹に耐えかねてアシュラを焼いて食おうとします。その時、落雷によってアシュラは川に押し流され、その後、誰にも面倒を見てもらえないまま、獣同然に生き抜きます。

 この漫画は、人肉を食べるなどの残酷な模写が社会問題に発展し、企画意図を述べた釈明文が少年マガジンの1970年34号に掲載されました。この釈明文には「今後アシュラは宗教的世界に目覚め人生のよりどころを確立する」旨が記載されていましたが、結局はその展開は描かれないまま連載は終了しました。

 その後、「週刊少年ジャンプ」の1981年26号に読み切りで完結編が掲載され、その結末ではアシュラは宗教的世界に目覚めているそうです(私は読んでいません)。

 漫画「アシュラ」は、東映アニメーションにより映画化され2012年に公開されており、このアニメは第16回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞を受賞しています。

 

 

 私が少年マガジンでこの漫画を読んだのは中学生の頃で、その残酷な描き方に眼を見張りました。私の記憶に残っているところは、ある誠実な農民の男が激しい飢えに耐えかねて人肉を食べてしまい苦悩の末自殺するところ、母親によりアシュラが燃え盛る火の中に投げ込まれるところ、アシュラと偶然出会ったお坊さんが、自分を食おうと襲ってきたアシュラに「食いたいのならこれを食え」と自分の腕を切り落として与えるところなどです。

 ジョージ秋山さんは、アシュラと同時期に、「週刊少年サンデー」に「銭ゲバ」という漫画の連載を開始しています。この作品は、極度の貧困から、結果的に殺人を繰り返しながらも富と名誉を掴む青年を描いたもので、私は、この作品についても「よく少年サンデーが掲載に踏み切ったな」と思っていました。1970年といえば、「70年安保」でデモなどの激しい抗議活動が徒労に終わった青年たちの間に挫折感が広がっており、そのような社会情勢が「アシュラ」や「銭ゲバ」を生み出したのかもしれません。そういえば、この頃、「右手にジャーナル(朝日ジャーナル)左手にマガジン(少年マガジン)」という言葉がはやりました。「アシュラ」は、少年時代から少年マガジンを読んで青年になった人たちが求めていた漫画だったのかもしれません。

 

 Xに画像を投稿しました(2024.4.12)。

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(以下次回→時期は未定)