「ダルマ」というと、一般社会ではあの置物以外ではこちらのイメージが強いようですが…最近はそうでもないか?
…それはさておき。
管理人は昨日、日ノ出町から京急鶴見まで800形に乗車し、直流モーターの唸り音を堪能しました。
そういえば、京急で直流モーターを堅持しているのは、未更新の1500形を除けば、もう800形と2000形だけなんですねえ…。この両系列が退役し、1500形の機器更新が成れば、京王に続いて2社目の「全てVVVFインバーター制御・交流誘導電動機搭載車で統一した大手私鉄」になりそうです。
ご尊顔を面縦でドン。
おとなしいデザイン
この顔、登場当時はかなりインパクトがありましたが、今となってはそれほど…という感じです。むしろ、個性的な顔立ちの車両が多くなった昨今では、おとなしい顔立ちという印象の方が強いです。あるいは、それまでになかった京急の顔だったということも、登場時のインパクトの強さに寄与しているのかもしれません。
800形にはこのとおり、運転台の真後ろに座席があります。
この座席を備える車両はめっきり少なくなった
京急はこの部分に座席を備える車両が主流だったのですが、新1000形ステンレス車からここには座席を設けないようになってしまいました。昔の東急の旧3000系列吊り掛け車でもそうでしたが、ここは得てして子供たちの特等席になるもの。そのときの体験が鉄道に興味を持たせるきっかけになるかもしれません。そのきっかけとなるものがなくなっていくことには、率直に寂しさを覚えざるを得ません。
こちらは800形の別編成。このころになると、京急鶴見駅での光線状態も変化し、このように柔らかく光線が回るようになりました。
すっきり撮れた
実はこの編成、2000形のリバイバル編成である2011編成と並びました。
そこでカメラに収めようとしたのですが…。
800形が影に潰れたorz
はい。盛大に轟沈しました。
ところで、以前の記事で800形が登場当時のオリジナルカラーを復刻させるというニュースに触れていますが(こちら)、実は2000形とはカラーリングについて、浅からぬ因縁があるのですよ。
と申しますのも、800形が現行のカラーに改められたきっかけが、2000形の登場にあったから。
800形の登場当初のカラーリングは、それまでの京急の車両とは異なる、赤地に窓回りを白にしたものでしたが、昭和57(1982)年に2000形がそのようなカラーリングで登場したため、この「赤地に窓回り白」のカラーリングは優等車・クロスシート車の専売特許ということになりました。その結果として、優等車ではない800形は赤色に窓下の白帯という現在のカラーリングに改められたというわけです。
しかしそれも、その後の2100形・600形の登場時には意味がありましたが(600形は登場当初オールクロスシートだった)、新1000形が「赤地に窓回り白」のカラーリングを採用したため、「優等車・クロスシート車」という採用基準は有耶無耶になってしまいました…。
現在では逆に、赤地に窓下の白帯というカラーリングは、1500形など少数派になっています。
何度も申しますが、「日野原保理論」の最後の体現者(車)である800形。
その800形が退役するそのときは、京急の歴史が大きく変わる節目のような気がします。
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