東北新幹線の大宮-盛岡間暫定開業から28年。
東北新幹線の着工から数えると39年。
平成22(2010)年、東北新幹線は遂に終点・青森へと達します。

前回触れたとおり、八戸-青森(新青森)間の工事は平成8(1996)年に着手されましたが、東北新幹線の終点となる新青森駅は、既に国鉄末期の昭和61(1986)年に開設されています。管理人は昭和62(1987)年3月、今はなき客車急行「津軽」で新青森駅を通過したことがありますが、そのときは住宅もまばらな中に1面のホームがあるだけという殺風景な駅で、こんなところに本当に新幹線が来るのかと思ったものです。新青森駅はその後、開業直前の平成22(2010)年8月に再訪していますが、このときは新幹線ホームその他の構造物が余りにも立派すぎて、いよいよここに新幹線が来るのだという実感が湧いたものです。

東北新幹線が遂に全線開通するということで、地元青森県や鉄道趣味界は沸き立っていましたが、光あるところ影はあるもので、ある問題が懸念されていました。
その「問題」とは当然並行在来線問題ですが、今回八戸-青森間の東北本線が全線「青い森鉄道」に承継されることになります。ただ、そうなると、八戸線と大湊線がJR在来線のネットワークから外れてしまうことになります。八戸線は新幹線と直に接続していますから、JR全体のネットワークには組み込まれていますが、問題は大湊線。結局大湊線内と八戸以遠・青森以遠のJRの距離を通算した上に青い森鉄道の運賃を加算するという形態となり、大湊線は完全にJRのネットワークから切り離されてしまいました。将来、北陸新幹線が開業すると、氷見線や城端線、大糸線非電化区間がそうなるのではないかと懸念されています。

そんな影をはらみながらも、平成22(2010)年12月、遂に東北新幹線は青森に達しました。これによって、東北6県が全て東京と新幹線で結ばれることになり、鉄道の高速化ネットワークがさらに充実したことになります。
ところで、新幹線の青森開業ですが、当初JR東日本では開業年次を「2010年度」とアナウンスしていました。これは九州新幹線の博多-新八代間の開業と同じですが、東北の方が工事が早期に完成したため、年末年始の帰省ラッシュ前に開業させてしまおうということになり、それ故に12月の開業になったといわれています。
列車の体系は、1時間に1本の「はやて」は東京から直通するというシンプルなものですが、停車駅パターンは何通りかありました。ただし八戸は全列車停車となっていて、かつての終着駅に対する配慮を感じさせるものとなっています。もっとも、その後八戸を通過する列車が登場してしまいますが…。
なお、青森開業に伴ってE2系車両が増備されましたが、この車両は東海道・山陽のN700系の設計思想を取り入れており、側面表示を従来車の3色LEDからフルカラーLEDに変え、同時に駅停車中に列車の号数や停車駅案内をスクロール表示させるようにしたことと、普通車窓側やグリーン車などに「電源席」(コンセントがある席)を設けてモバイル機器利用に配慮するなどの変更点が見られます。

12月の開業時は、それまでの「はやて」を青森へ延長しただけでしたが、翌年3月、決定版ともいえるE5系が登場します。
この車両は、鉄道趣味界はもちろんのこと、一般マスコミからも大変な注目を浴びましたが、その理由は最高速度の向上(当面300km/h、近い将来320km/h)ではなく、グリーン車のさらに上を行く特別クラスの車両の導入でした。新幹線の広い車体幅でありながら座席を横3列とし、しかも航空機の短距離国際線ファーストクラス並みの座席を装備、専任アテンダントが飲食のサービスを行うというスペックは、一般社会に絶大なインパクトを与えました。後にこの「スーパーグリーン車」は「グランクラス」と命名され、同時にロゴマークも制定され、時刻表の表示や駅での案内に活用されています。
そして、この車両を使用する列車は最高速度の違いから「はやて」と別建ての愛称にすることになり、愛称が公募されました。公募の結果はぶっちぎりの1位が「はつかり」。これは上野-青森間の特急の愛称であり、東北初の特急列車という歴史的な重みもある名前であることから、特に鉄道愛好家の支持が高かったのですが、決定した愛称は「はつかり」でなかった。豈図らんや「はやぶさ」。これはいうまでもなく、その前年まで東海道を走り、かつては鹿児島にも達していたブルトレ「はやぶさ」と同じ名前です。この名前には九州、とりわけ鹿児島のイメージが強かったようで、新愛称が「はやぶさ」に決定したことを報じるNHKのテレビニュースでは、「なぜ、『はやぶさ』なのか」という取り上げ方をしていたのを覚えています。
同時期に、九州新幹線の列車名が「さくら」「みずほ」に決定したことから、管理人は「はやぶさ」こそ九州新幹線にふさわしいと思っていましたが、九州新幹線の愛称を募集した当時は、まだブルトレ「はやぶさ」の去就が決まっていなかったので、やむを得ない面もあったのだと思います。あともうひとつ指摘すれば「はやぶさ」は「薩摩隼人」、鹿児島県出身の勇猛な男性をイメージして命名された経緯があるため、昨今の社会情勢から九州新幹線の列車名としては採用が躊躇われたのではないかと思われます。

結局、「はやぶさ」は、東京-新青森間2往復、東京-仙台間1往復で運転を開始しました。E5系はグランクラスばかりが注目されましたが、実は普通車の改善も劇的になされており、シートピッチがそれまでの980mmから、N700系などと同等の1040mmに拡大されています。
ただし停車駅は大幅に絞り込まれており、この列車の登場により、前年まで終点だった八戸を通過する列車が現れたのは残念なことでした。

E5系「はやぶさ」が走り始めてちょうど1週間目、東北一帯を大地震が襲います。
東北新幹線も甚大なダメージを受け、一部区間が不通になりましたが、それでも関係者の不眠不休の努力により、4月29日に全線が復旧し、東北の被災された方々を大いに勇気づけました。ただし安全上の理由で減速すべき区間が残っていて、E5系の300km/h運転はお預けとなりました。300km/h運転が復活したのはその5ヶ月後、9月下旬になってからです。

JR東日本は、今後路線ごとに車種の単純化を進めることにしており、東北系はE5系に統一する方針です。そのため、現在もE5系の追加投入が進んでおり、「はやぶさ」のみならず「はやて」や「やまびこ」、果ては「なすの」にまで充当されるようになりました。流石に「なすの」のグランクラスはフルスペックのサービスではなく、アテンダントは乗務しませんので、その分割安なグランクラス料金が設定されています。

次回は、延伸開業でいよいよ「名が体を表す」ことになる北陸新幹線と、そこに投入される新型車両の話題を取り上げたいと思います。



-その16へ続く(№2264.)-