長野五輪に先だった平成9(1997)年10月、遂に「長野新幹線」、北陸新幹線の一部区間がめでたく開業の運びとなりました。
列車はそれまでの速達タイプ・各駅停車タイプの2種類あったものが1種類となり、これもそれまでの新幹線とは毛色が変わっています。もちろん各駅停車の列車もありますが、東海道のようにはっきり分けられるものではなくなりました。そのため、列車に冠される名前も、長野新幹線では1種類となりました。東京-長野間の所要時間は、1時間19分(下り最速)となっていますが、これはノンストップ列車のもので、途中主要駅に停車する列車は1時間30分台となっていました。
また、長野新幹線の列車番号の後ろにつくアルファベットは、東北のB、上越のCに続く「E」。これは「D」が在来線気動車列車の番号の後ろにつくためで、混同を避けて飛ばしたものです。
列車名は「あさま」。当然、前日まで在来線を走っていた特急の「あさま号」から取ったもので、沿線の象徴的な山・浅間山にちなんだものですが、このころになると、新幹線の列車名も「ひかり」「こだま」「やまびこ」といったイメージ的な名前、あるいは「とき」「つばさ」といった鳥、ないしは鳥を連想させる名前(国鉄時代の在来線特急は鳥かそのイメージから命名するのがデフォだった)ではなく、ズバリ地域を表す名前になっています。
そして使用車両は、もちろんE2系J編成。ただし、翌年2月の五輪期間中の輸送は、E2系だけでは間に合わず、従来の200系に周波数対応改造を施した編成を用意したり(この編成はE2系が8連だったのに対し12連だった)、当時投入を進めていた2代目「Max」E4系に入線可能な編成(軽井沢まで入線可能な編成と、長野まで入線可能な編成とがある)を用意するなどしたりしました。

そういえば、最近は軽井沢発の「Maxあさま」が見られませんね。
…と思っていたら、MaxことE4系は、実は乗客を乗せた状態では碓氷峠の坂を登れないのだとか。空車では登れるようなのですが。だから「Maxあさま」は上りだけだったのですね。
ちなみに、E4系が下り列車に使えないことが分かったためなのか、「Maxあさま」は平成15(2003)年夏を最後に、見られなくなっています。

ところで、長野新幹線で問題になったのは、列車の愛称(こちらはすんなり決まった)ではなく、路線の名称でした。もちろん正式名称は「北陸新幹線」なのですが、案内上の名称としてそれを名乗っていいのかということです。
というのも、当時は高崎-長野間のみの開業ですから、正式名称を名乗ってしまうと、「長野に行く新幹線」ということをアピールできなくなり、実態にも符合しません。そこで考えられた、というか自然発生的に出てきた名前が、そのものズバリの「長野新幹線」。しかし、これには北陸新幹線の延伸ルート上にある新潟・富山・石川などの自治体からクレームがつきました。曰く、

「長野新幹線と命名してしまっては、北陸延伸を放棄したように受け取られてしまう」

そこでJR東日本は苦肉の策として、長野方面行だけを「長野行新幹線」(『行』は字体を小さく表記する)、長野から東京方面を単に「新幹線」として案内することにしました。
JR東日本はそこまで気を遣ったのですが、東京駅で接続するJR東海は、「そんなの関係ねぇ」とばかり、東海道線と東北・上越新幹線の乗換改札口に、堂々と「長野新幹線」の表示を使用し、JRグループ内部で案内表示が異なる事態が出来しました。
その後、「長野新幹線」の愛称が利用者の間に定着したことや、平成16(2004)年に北陸新幹線の延伸が決定し、延伸先自治体のアレルギーが治まってきたことなどから、JR東日本でも「長野新幹線」と案内するようになっています。
ちなみに、JTB時刻表では、長野新幹線開業後しばらくの間、索引地図の路線名称に「長野新幹線(北陸新幹線)」と表記していました。しかし、長野発着では「北陸」の名称は実態に即しておらず違和感を与えるためか、早々にカッコ書きは放棄されています。

長野新幹線は、五輪閉幕後は採算性が疑問視されたものの、在来線時代よりも乗客数は大幅に増え、それなりに安定した運営がなされています。
ただ、いいことばかりではなく、小海線との交点に新幹線の駅ができた佐久平は商業施設の集積が進んでいるのに対し、新幹線のルートから外れた小諸市では商業施設の廃業が相次ぎ、またそれまで宿泊を伴っていた長野・上田方面への出張旅客が日帰りで帰ってしまうようになったことから、現地の観光業は痛しかゆしだったようです。さらに、長野駅から直行バスが白馬や信濃大町(立山黒部アルペンルートの長野側玄関口)まで運行されるようになったことで、大糸線へ直通する特急列車が激減し、松本・大町地区の地盤沈下をもたらしたことも指摘されています。
また、JRから切り離された「並行在来線」の経営問題も指摘されています。在来線としての信越線は、新幹線開業と同じ日に、軽井沢-篠ノ井間が第三セクター「しなの鉄道」による運営に変わりました。しかし、車両はそれまで同じ路線を走っていた同じ車両(115系)。運賃はJR時代よりも割高になってしまい、さらに長野へ直行する場合は篠ノ井で分断されたことで、運賃が単純加算となり割高になってしまったこと、通学生の定期代が割高になったこと、その他の要因により、なかなか利益が上がらず経営が大変だという問題があります。この問題は、九州新幹線開業によりJRから切り離された「肥薩おれんじ鉄道」などでも抱えている問題ですが、この問題は今後大きく影を落としそうな気がします。

現在、長野新幹線は本来の「北陸新幹線」のルート、長野から先への延伸が平成16(2004)年から着工され、平成26(2014)年には富山・金沢へ達するとされています。しかしこうなったら、「長野新幹線」の名称はどうなるんでしょうね。
既にそのあたりをにらんだ動きもあるようで、長野県では知事のコメントとして「長野北陸新幹線」のように、長野を残してほしいとしており、JR東日本の対応が注目されます。
しかし、長野新幹線というのは正式な路線名称ではありません。この路線が北陸につながり、名実ともに「北陸(へ行く)新幹線」となった暁には、名称と実態の齟齬はなくなります。「北陸新幹線」で何が問題なのでしょうか。これは管理人の個人的感想ですが、どうも長野県(あるいはその内部の自治体)は、中央リニア新幹線のルート選定過程といい、必要以上に口出しをし過ぎるように思います。

次回は予定を変え、東日本の新幹線における列車名の変遷を取り上げることにいたします。

-その13へ続く-