その7(№2217.)から続く

東北・上越新幹線は、開業当初こそ大宮からの開業という大変なハンディキャップがあったものの、新幹線ならではのスピードと雪でも遅れや運休がないことなどが評価され、好評裡に乗客を集めていました。
となれば、新幹線の通っていない東北の自治体、具体的には山形・秋田・青森の3県(当時)ですが、これらの県も「我が県に新幹線を」と、誘致活動に力を入れることになります。
もちろん、青森は東北新幹線の延伸計画がありましたし、秋田や山形にしても羽越・奥羽新幹線の計画自体は存在しました。
しかし、青森を別にすれば、仮に奥羽新幹線を作ったとしても、沿線人口は東北以上に少ないことから、新幹線自体の採算性が疑問視されますし、また並行する在来線の採算性(並行在来線問題)も生じます。
そして何より、当時は国鉄末期の民営化直前の時期。到底、採算性に問題のあるプロジェクトは実行できない。
そこで、高速走行の新線と在来線を自在に直通するフランスのTGVにヒントを得て、在来線車両の規格で新幹線に直通運転することにしてはどうか、という発想が出てきました。
これこそが「ミニ新幹線」の発想ですが、この構想は既に国鉄時代から動いていたんですね(参考:『鉄道ファン』平成19年7月号)。昭和61(1986)年には、当時の運輸省内に「新幹線と在来線との直通運転検討会」なるプロジェクトチームが立ち上げられています。
この事業が実際に動き出すのは、JR発足後の昭和63(1988)年からですが、JR東日本はこの年8月から4年弱の歳月をかけて、福島~山形間の在来線の線路幅1067mmを、新幹線と同じ標準軌の幅1435mmに改軌する工事が行われています。列車ダイヤに変更が生じるようになったのは平成2(1990)年3月のダイヤ改正からで、このとき在来線特急「つばさ」を大幅に減便、さらに翌年同列車の福島~山形間を廃止、山形以遠へ向かう列車については仙山線経由で仙台を発着するように改められました。
ちなみにこのとき、在来線列車をどうするかの検討がなされたそうですが、標準軌の中に線路をもう1本引く「三線軌」(デュアルゲージ)は採用しないことになりました。その理由は、在来線車両は線路の中心点をずれるため建築限界を突破する場所が発生すること、三線軌はレールの摩耗の仕方や台車からの力の掛かり方に差があり保守上難があることなどでした。ただ全く採用しなかったわけではなく、蔵王-山形間だけは、貨物輸送の便宜のため三線軌が採用されています(後に貨物輸送廃止のため撤去)。結局、ローカル輸送用としては、標準軌対応の専用車両を用意することになり、719系に標準軌の台車を履かせた専用車5000番代が登場しています。

車両は、平成2(1990)年、在来線サイズの車体に新幹線区間で200km/h以上のスピードで走ることが可能なメカニックを詰め込んだ車両・400系が1編成6連で登場、新幹線区間での試運転を開始しました。
ちなみにこの400系、それまでの新幹線車両のイメージと全く異なるカラーリングで現れました。それは乗用車などに見られた「ガンメタリック」で、白をベースにした200系と並ぶとそのインパクトは際立っていました。余談ですが、鉄道車両でメタリック系の塗装を採用したのは、400系が最初ではなく、JR九州が登場させたジョイフルトレイン「パノラマライナーサザンクロス」であり、400系は2例目となっています。
車種構成はグリーン車1両、普通車5両ですが、うち2両は自由席車として運用するため、他の車両よりも70mmシートピッチを詰めた910mmとなっています。グリーン車は1160mmの標準的な値ですが、車体が在来線サイズのため、横3列となっているのが目を引きました。
400系はこの試作1編成の他、量産車11編成が開業までに揃えられています。
面白いのは400系の持ち主。実はJR東日本ではなく、山形県などが出資した第三セクター「山形ジェイアール直行特急保有会社」が保有し、JR東日本はリースを受けるという形をとっていました。その後の増備車は、もちろんJR東日本の持ち物となっています。

そして最も注目された列車名は、奥羽線のフラッグシップ・トレインだった「つばさ」に決定しました。しかし皆様よく御存知のとおり、この「つばさ」という名前は、もともとは上野-秋田間の列車。上野から奥羽線を通って山形へ行く列車としては「やまばと」がありました。そのため「つばさ」の愛称には秋田のイメージが強く、秋田県在住・出身者の間からは、「山形に『つばさ』を取られた」という嘆きの声が上がったとか。

平成4(1992)年7月1日、山形新幹線が開業、「つばさ」が新幹線の列車として走り始めます。列車は東京-山形間1日14往復、最速列車の所要時間は2時間27分でした。山形から先は、接続特急として「こまくさ」が走ることになりました。そして「つばさ」は、東北新幹線区間では一部を除き200系「やまびこ」と併結運転しています。これに備えて、200系の一部編成には、自動で分割併合を行う装置を装備する改造が行われました。

ところで、「ミニ新幹線」が新幹線と在来線の直通という形態であるのは周知の事実。そのため、新幹線を走れる車両が在来線区間を走っても、最高速度は130km/hですから、この区間は「新幹線」とは言いません。そのためもあるのか、在来線区間には踏切が残り、踏切を通過する新幹線車両という、新しい構図を提供することになりました。ただ、他方では在来線区間も含めて「山形新幹線」と案内したため、マスコミには「何で新幹線なのに踏切があるんだよ」などといった、ほとんど言いがかりのような報道もありました。法律の「新幹線」の定義を考えれば、全く無問題のはずですが。当然のことながら、「山形新幹線」はあくまで案内上の愛称であり、福島以遠は在来線扱いです。この在来線扱いは列車番号でも徹底していて、東京-福島間では「○○○B」ですが(Bは東北新幹線列車の番号末尾に必ずつく)、福島-山形間は在来線同様に「○○○M」となっています。
新幹線と在来線の直通ということは、料金面にも影響していて、特急料金は福島で在来線「つばさ」と乗り換えたときの額を基準に算定されています。面白かったのはグリーン料金で、福島を境に在来線区間・新幹線区間それぞれが加算されるという形態で、かなり割高になりました。逆に山形以遠で「こまくさ」に乗る場合、グリーン料金は福島-山形-下車駅まで通算でした。これは新幹線と在来線との直通という形態に忠実に即した結果ですが、さすがに実態にそぐわないのか、その後新幹線区間のみの通算に改められています。

このような「ミニ新幹線方式」は、功罪相半ばする方式といわれます。
「功」、まずメリットの部分は、建設費が少額で済む(新幹線の20分の1とも)、停車駅をきめ細かく設定できる、在来線を廃止しなくて済む(いわゆる並行在来線問題は起きない)、といったところです。
これに対して「罪」すなわちデメリットもあるわけでして、踏切を廃止できない(できなくはないがコストがかかる)、在来線の規格自体の改良はできない、最高速度が抑えられるといったところですが、管理人が考える最大のデメリットは恐らく、車両が在来線サイズで1列車あたりの輸送力が小さいため、開業後に爆発的に需要が増大したとき対応しきれなくなることです。この問題は現在も尾を引いていて、開業後1両増結して7連にしたものの焼け石に水で、年末年始やGW・お盆、山形のサクランボのシーズンや紅葉シーズンには混雑率が高くなる問題があるということです。
それでも「乗り換えなし」のメリットが評価され、平成11(1999)年にはさらに新庄まで延伸され、今に至っています(東京-新庄間は最速3時間5分)。

後に同様のミニ新幹線として秋田新幹線が開業しますが、次回はオール2階建て新幹線を取り上げます。


-その9(№2223.)へ続く-