その13(№2148.)から続く


223系投入によるスピードアップを果たした新快速は、その速達効果を京阪神だけではなく、滋賀県湖東地区や姫路方面まで拡散させました。特に大阪-姫路間の時間短縮は目覚ましく、それまで別々の生活圏だと思われていた大阪と姫路が1時間前後で結ばれるようになり、通勤・通学といった日常的な流動も可能なまでに近づいたのは、ひとえに新快速のスピードの賜物です。

となれば、その速達効果を、より広範囲に拡散させようと鉄道会社が考えるのも道理。そこで新快速の運転区間の拡大がなされるわけですが、今回はその歩みを見て参ります。


平成17(2005)年3月。

それまでの新快速は、長浜・永原-京阪神-姫路(一部それ以遠も)の範囲内で運転されていましたが、このときのダイヤ改正で、日中の列車が1時間当たり1本、姫路からさらに先の播州赤穂へと延長されます。播州赤穂発着の列車そのものは、これまでにも新快速や快速で数本ありましたが、パターンダイヤの運転系統が延長されたのはこのときが初めてです。

播州赤穂発着の列車は、姫路-相生-播州赤穂間は各駅停車となりました。そのためか、同時に山陽線岡山方面への列車は相生発着、赤穂線岡山方面は播州赤穂発着となり、両駅で新快速と接続する形態に改められています。

赤穂といえば「忠臣蔵」ゆかりの観光都市ですし、その先には「備前焼」で有名な備前片上、牡蠣で有名な日生もあることから、新快速は東の長浜・湖西線と同じように、赤穂・片上方面への観光輸送の任務も併せ持つようになりました。ただし、流石に12連での直通は供給過剰になってしまうことから、姫路駅などで増解結が実施されています。


他方、新快速の東の突端は長浜と永原ですが、長浜市では新快速の長浜駅乗り入れ以来観光客の増加が続いていることから、敦賀市と福井県が地域活性化の一環として、北陸線の敦賀までを直流電化に転換し新快速を直通させようと、JRに働きかけを始めます。

ただ、北陸・湖西線の直流化の構想はこれとは別に国鉄時代からあって(琵琶湖環状線構想)、せっかく琵琶湖を取り囲むように走っているJRの路線が、電化方式が異なるために事実上分断されているのでは、利便性が損なわれているという問題意識もあったようです。つまり、北陸・湖西線の直流化は、湖西地区・湖北地区相互の利便性向上という意味合いもありました。平成3(1991)年の米原-長浜間直流化は、前述した「琵琶湖環状線構想」の一部を実現するものだったのですが、その大成功が、滋賀県湖北地区の自治体や福井県・敦賀市を動かしたということがいえます。

両線の直流化工事は、地元の請願という形がとられたため、工事にかかる費用は地元負担となりました。具体的には、滋賀県と福井県がそれぞれ負担し、ほぼ折半しています(その他、JRは車両の新造費用を負担)。


直流化工事は平成18(2006)年に完成し、同年10月から、新快速は遂に近畿のエリアを越え、北陸エリアである敦賀へ足を踏み入れました。敦賀に達する列車は、山科から湖西線を経由してそのまま達する列車と、長浜発着列車を延長して達する列車との2通りの運転系統が出現しています。これによって、長浜-虎姫間と永原-近江塩津間にあった交直切換のデッドセクションは、敦賀駅の直江津寄り、具体的には北陸トンネルの敦賀側入口付近に移されました。

ここでちょっと面白い現象が起こりました。北陸線の長浜より3駅敦賀に寄った駅に「高月(たかつき)駅」があるのですが、新快速はこの区間各駅停車ですから高月駅にも当然停車します。ということは、京都-大阪間のあの「高槻(たかつき)駅」にも停車する。つまり、「敦賀-(北陸線回り)-大阪以遠」で運転される新快速は、「同じ名前(読み)の駅に2度停車する列車」となってしまいました。

もちろん、字で書けば違いは一発で分かるのですが、読み(音)は全く同じであることから、電化方式転換に際し、「近江高月駅」などと駅名を改称することも真剣に検討されたそうです。しかし、駅名の改称には莫大な費用がかかるためか、結局断念され、「同じ読みの駅に2度停車する列車」は、依然として存在し続けています。当初はJRでも「利用者が混乱するのでは…」と心配していたようですが、実際には車掌の案内放送などに工夫が凝らされていて、誤乗などの大きな問題は起きていません。


ともあれ、新快速の敦賀延伸により、湖北・湖西地区の相互の往来と対米原・対京都の利便性は飛躍的に改善されました。ただし、播州方面と同様、京阪神間と同じ12連では輸送力が過剰になり過ぎてしまいますので、米原駅や京都駅などで増解結を行っています。このため、敦賀まで通すのは、米原経由・湖西線経由のいずれも、4連が原則となっています。北陸線長浜以北直流化以前は、交直流電車の475系などが乗り入れてきて、しかもそれらは3連でしたから、輸送力としてはそれで十分ということでしょう。

このとき、面白い列車が生まれています。走行距離275.5km、所要時間3時間59分の敦賀発米原経由播州赤穂行きという、往年の「長距離鈍行」のような列車です。ただし表定速度は到底「鈍行」レベルの代物ではなく、各駅停車区間や増解結のための停車時間があるにもかかわらず69.2km/hと結構な俊足で、これは国鉄時代の地方幹線の気動車特急のレベルとなっています。この表定速度は、京阪神間の高速運転が威力を発揮しているのでしょうね。ちなみにこの列車、平成20(2008)年のダイヤ改正では敦賀発の4連が途中駅止まりとなり、列車としては敦賀から播州赤穂まで直通するものの、敦賀発の車両が播州赤穂まで達するわけではなくなりました。余談ですがこういう事例、国鉄時代の気動車列車で時々みられたような。

また、北陸線新疋田付近は、上り線のみループ線となるダイナミックな線形で知られ、撮影派の鉄道愛好家に人気の撮影スポットですが、この「撮影名所」に、京阪神を爆走する223系が、しかも4連の短編成で走るという光景は、大いに愛好家の写欲をそそったようです。従来なら475系・485系電車が走っていた場所ですから、管理人もこの場所を223系が走っている写真を見たときには、強烈な違和感を覚えたものです。


このようにして、新快速の運転区間は、西は相生~播州赤穂、東は近畿を越えて北陸の敦賀までという、極めて広範囲にわたることになりました。

ただ、平成17(2005)年に起きた福知山線脱線事故により、JR西日本のスピード偏重ともとれる企業姿勢が糾弾されたのは以前に指摘したとおりです。JRもそれを受け入れ、ゆとりがなかったダイヤを見直すなどの対応をとってきたのですが、車両についてもさらなる安全性の向上が求められました。


次回は、そのような車両のお話を。


その15(№2160.)に続く