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すっかり少なくなった、「赤電」と呼ばれる京成の鋼製車。

管理人は、去る2月3日日暮里に赴き、その帰りに京成の「京成パンダステッカー装備車」を狙いたくて京成に乗車したのですが、来たのは冒頭の「赤電」モハ3348以下の4連でした。この編成は4連であることから主に金町線運用に従事しているようで、朝晩の上野乗り入れ運用で日暮里に顔を出したようです。

そこで、今回はその「赤電最終章」として、以前に当ブログで不定期にアップしてきた「Candle in the wind」の京成編として、3300形の写真の撮って出しの記事をアップいたします。

なお、写真は全て京成上野駅で撮影しました。

「赤電」といえば、この「京成顔」は外せません。

以前は正面のおでこの部分には方向幕がなく、2灯のヘッドライトがあったものです。行先案内表示はもちろんサボ。

しかしそれも、乗客に対する案内の充実という点からは改善がなされ、その一環として前面の方向幕の装備などがなされ、現在見られる顔になりました。オリジナルの「京成顔」と異なるのは、ヘッドライトの位置などですが、現在ではこの車両も十分「京成顔」の面影を色濃く残しているといえます。


京成といえば、お約束だったのが側面にステンレス切抜き・筆記体で描かれた「Keisei」のロゴ。現在はこれも、「K▼SEI」というグループ全体の統一ロゴになって、3700形以降の車両からは姿を消しています。


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かつて、京成といえばこの書体だった


側面の案内表示も、最初は何もなかったのですが、後に方向幕が改造で取り付けられています。

ところで、京成はLEDの採用に消極的だった会社として知られていますが、これは、当初のLEDの視認性に難があり、これではお年寄りの乗客や海外からの乗客に読んでもらえないことを心配したためといわれています。そういえば、LEDの採用に消極的だったのは京成の他には京急やJR東海などが挙げられますが、これらの鉄道会社は外国人の利用が多い会社という共通項があります。ひょっとして…。


…それはさておき。


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やはり方向幕は見やすい


お次はモハ3348のドアを。

この車両のドアは、近年の更新でステンレス製に取り替えられ、車内の側はステンレスの地肌剥き出しの姿になっています。しかし、形態は最近の共通化されたものではないので、安っぽさはありません。


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モハ3348のドア


モハ3347と3348の連結面のショットを。

この編成は、昭和48(1973)年製造ということですから(実際には昭和46年製※)、車齢は実に37歳ということになります。以前に取り上げた東武8000系の8104Fは昭和38(1963)年製ですから、彼らよりは10歳以上若いですが、それでも鉄道車両としては長寿の部類に入ると思います。


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写真では分かりにくいが銘板には製造年が


※=小馬太郎兵衛様からの御指摘により、この車両は昭和46(1971)年製ということが判明しました。昭和48年と思っていたのは管理人の誤解です。謹んで訂正いたします。失礼いたしましたm(__)m

彼らの去就ですが、やはり遠からず全廃ということになっているようで、現在残っている「赤電」は4連のものしかないようです。既に8連はほとんど見なくなり、都営浅草線-京急のルートでも彼らの姿を見ることはなくなってしまいました。

現在、京成では高砂駅付近の高架化工事が進められていて、その工事が完成した暁には金町線が分断され、上野からの直通列車が走らなくなるようです(琴電の瓦町駅のようになるらしい。琴電も、瓦町駅で志度線と琴平線が分断されてしまった)。おそらくそのころが、彼ら「赤電」の最後なのでしょう。

昭和35(1960)年の地下鉄乗り入れ開始から半世紀近くにわたって活躍してきた、京成の鋼製通勤車の歴史にも、もう間もなくピリオドが打たれようとしています。彼らの功績をたたえつつ、一日も長い活躍を願わずにはいられません。


-さすらい館・Candle in the Windシリーズ-


1 東武編(記事№047.)

2 相鉄編(記事№050.)

3 小田急編(記事№055.)

4 西武編(記事№064.)

5 阪急編(記事№321.)