夢叶わぬ人生―私の子供の頃の夢 | 非常勤講師はつらいよ―私学非正規教員の本音と生活向上作戦

夢叶わぬ人生―私の子供の頃の夢

ブログネタ:子供の頃の夢 参加中

 年明けてから2,3回、進路について書きましたが、クチコミ投稿でも募集している事から、今回は「子供の頃の夢流れ星(というか、子供の頃からの夢の変遷という感じでしょうか)」について触れたいと思います。

まず、小学生の時になりたいと思ったのは「学校の先生メガネ」。
その傍らで「漫画家アート」や「歌手カラオケ」もやってみたいと思った事はありましたが・・・(笑)
小学校も校学年になると、先生は先生でも「大学教授本」を夢見るようになり、卒業アルバムにもそのように書きました(笑)
当時は算数が好きで得意だったために、東大理科一類に入って数学科を卒業し、東大教授になりたいとね(大笑)
この「夢」は、中学2年まで続きました(^_^;(中高教師にも心残しつつ・・・)

中3以降になってくると、数学が苦手の成績が下がってきた事に加え、別の夢が沸いてきたので、次第にそちらに心が向いていくようになりました。しかし当時、自分の在学校からそのための大学に行くのも至難の技で、なかなか言い出せなかったのですよ(汗)
でも、高2終わりの進路面接で、担任に恐る恐るその希望を告げてみたところ、前例がないがその道で了承して下さり、目指す事に。
しかし、理系がダメダメの超文系女子校では、なかなか思うようにいかず・・・浪人、妥協しての他大入学→中退、再受験をしたものの、ダメだったので、合格した大学に入ったわけです。

それでも、その大学で生物学を専攻し、この分野で研究を続け、出来る事なら大学でも教えたいという新たな「夢」を見出しました。サーチ学科は違えど、小学校高学年の夢に戻った感もしますね。
そこで、大学院修士課程に進学し、1年目は希望を持って授業に研究に張り切っていたのですが、そんな思いも束の間・・・
大学院は医学系に在籍しましたが、指導教授(医者)からは「医者でないのに医学博士を取ってもしょうがない」の一点張りで、博士課程の受け入れを頑なに拒まれ(だったら最初から受け入れるな!)、研究室追放・・・汗
他大でも、ドクターから受け入れてくれる研究室は見付からず、夢破れた中で見出した新たな夢もまた破れるという失意のあまり、一時は半分引きこもり状態でしたよ。あせる

修士修了後は何をしてよいか分からずにいたところ、たまたま来た通信制高校サポート校講師の依頼を受け、気が付けば中高教員をやっていたという感じです。
まあ、小中学校当時の夢ではあったものの、学年が上がるにつれ出身校の教師達に失望し、むしろ高校卒業後は逆に「なりたくない職」になってしまっていたのですよ(苦笑)
それでも、学生時代の家庭教師・塾講師の経験から、教える事は割と好きだったし、与えられた任務は真面目に行わないと気が済まない性分ゆえ精一杯やってきましたが、既に繰り返し書いているように、毎年毎年1年で使い捨てられ・・・高校(中学の終わり頃)から夢見て目指してきたのとは程遠い、惨めな姿であります(悲)

 子供~若い頃は「を持ってそれに向けて頑張る」のは素晴らし事と思ってきたし、自身もそれを自然と実践してきたつもりです。
しかし、叶わなかった場合ショックやダメージは大きくて(自分の場合は失敗の代償もあまりに大き過ぎた)。ダウン
加えて現代の雇用問題等からも、頑張っても頑張っても報われない世の中。しょぼん
曲がりなりにも若者を育てる事に携わっている者としては不適切な発言で申し訳ないですが、自身の痛い体験や周囲の人々そして社会の様々な問題などから、
夢を大きく持ってチャレンジするよりも、敷かれたレールというか流れにうまく乗ってしまう方がいいのかな、と思うこの頃であります(苦笑)