牛島監督退任!?(>_<)
今日のネットスポーツ記事が目に入って驚いた。2年とはあっけない。もう少し長くやって頂きたかった。
山下前監督から引き継いだ時には、監督・コーチ経験もなくベイスターズ(大洋も含め)に所属した事もない監督の就任に、不安の声もあり、私も例外ではなかった。
しかし昨年は1年目にして、最下位の続いてきたチームをAクラス入りに導いてくれました!!! (個人的には、最下位脱出出来れば良しと思っていたのに)
昨年の生観戦は佐々木引退セレモニーの日1回であったが、実は、初めて生観戦で応援しているチーム(○人ファン時代を含めて)の勝利を目の当たりに出来たのだ(^_^;
ドラフトでも一昨年は大型新人を多数獲得出来、最弱チームとしては夢のようであった。
そんな大健闘が続くことを期待した今年は、初っ端から不振で最下位(;;)4月からは職場も浜スタに近くなったのに、観戦に行く気力も失せてしまうほどでした・・・
投手陣が不振だった事もありますが、昨年のドラフトでは、多くの戦力を獲得出来なかったなと思う。
ただ、これは監督のみの責任ではない(どちらかと言うと、選手補強に資金を出せない球団に原因があるような)。不調戦力の回復と今年のドラフトでの戦力補強を願い来年へ、と思っていたのに・・・
監督も1年や2年で結果を出せというのは無理な事である。昨年は、某新球団の監督の解任騒動もありましたが・・・
これまでの状態を建て直し、その監督の色を出すのに、最低3~5年はかかると思う。
今や常勝球団のソフトバンク(旧ダイエー)も、南海時代を含めかつては万年最下位であった。
王監督就任後も最初の2~3年は不振が続き「王辞めろ!」の罵倒が続いたが、その後、着実に強化し近年の活躍は周知の通りであろう。
この牛島監督も1年目の実績から、数年先の采配も見てみたかった。コロコロ監督が変わるのは落ち着きがないという点からも。しかし、記事にあるように、ご本人の決意は固いようだ。
>低迷の現実の中で現場とフロントを含めた責任問題を見過ごしたままでは、新しいスタートは切れないと判断。勝負の世界で責任を回避しては、将来の横浜の発展はあり得ないとの考えから、最後は現場トップの自分が辞めるという決断に至った。
このような形で責任を取る、というのならば仕方ないか?球団の方針に愛想をつかしたようにも取れなくはありません。
一部では「来季の事は言えない」との報道もあるようだが・・・
いずれにせよ、いちファンの我々は、推移をただ見守るしかないのだが、このような話がこの時期に出てしまったのは、非常に残念である。
まず今は、監督にはシーズン残りをめいいっぱいに指揮して頂きたいです。
横浜牛島和彦監督(45)が今季限りで退団することが28日、わかった。牛島監督は今月中旬までに、続投要請を続けてきた佐々木邦昭球団社長(59)に退団の決意を示しており、球団サイドも最終的に了承することを決めた。現在最下位のチーム成績、就任後の2年間でフロントから戦力補強での満足な協力体制が得られなかったことが理由となった。球団サイドは05年シーズンからの2年契約が今季で終わるため、来季続投を前提として交渉を進めてきたが、牛島監督の意思は固かった。今後球団は、直ちに後任探しに着手する。
6月以降、球団サイドが牛島監督に対して繰り返してきた続投要請も、最終的に合意に至ることはなかった。牛島監督の退団の決意は覆らなかった。牛島監督と佐々木球団社長の間で最後の結論が出されたのは今月中旬。牛島監督の勝負における結果責任を取る姿勢はかたくなだった。
今季の横浜は、開幕直後から低迷。昨年の4年ぶりAクラス入り(3位)に貢献した投手陣が不振に陥り、思うような結果を残せなかった。さらに5月以降は主力野手にもプレー中の故障が続出するアクシデントに見舞われた。主力野手の長期離脱は、若手を中心とした布陣で戦わざるを得ない苦しい状況を招いた。
現場サイドは、前年度に登板過多となった中継ぎ投手を2年続けて機能させるためにも、フロントに対して昨秋から補強を強く訴えてきた。また、打線の核となる外国人の獲得も当然の補強策として要望してきた。しかし、球団サイドは資金面の厳しい状況を理由に大胆な編成改革を断行できなかった。現場とフロントの構想が乖離(かいり)したまま迎えたシーズンは、現時点で最下位の結果に表れた。
04年のシーズン終了後、2年契約で就任した牛島監督は今季で任期満了を迎える。地域密着を経営理念に掲げ、今年3月に就任した佐々木社長は、09年に横浜開港150周年を迎えることで3年後の日本一を目標としている。同社長は、前年Aクラスに導いた牛島監督の実績、主力の離脱が相次ぐ中でも、投手王国の土台を固め、村田、吉村ら20代中盤までの若手を着実に成長させた手腕を評価してきた。佐々木社長は「今あるチームを今後どうやって強くして行くのかは大事なこと。組織のトップは2年、3年でコロコロ代わるべきではない」との考えから、今季の成績を度外視して、「来季続投」の方針を早い段階で固めてきた。
一方、牛島監督は低迷の現実の中で現場とフロントを含めた責任問題を見過ごしたままでは、新しいスタートは切れないと判断。勝負の世界で責任を回避しては、将来の横浜の発展はあり得ないとの考えから、最後は現場トップの自分が辞めるという決断に至った。
親会社TBSから監督人事を一任されている佐々木社長は、今月25日に東京・赤坂で若林貴世志オーナー(63)と会談。今後の交渉継続が難しいことを同オーナーに伝えた。チーム不振の責任を重くとらえた牛島監督は、勝負の世界で問われるけじめを自分でユニホームを脱ぐという形で結論を出した。
[2006年8月29日9時44分 紙面から]
一方、こんな記事も見付けました。
古葉氏は、広島の監督としての知名度の方が高いですが、個人的には、私達が中高で一番野球に燃えていた時期の大洋ホエールズの監督だったのだから!(^o^)
プロ野球の広島などで監督を務めた古葉竹識氏(70)が、東京新大学野球リーグ1部の東京国際大(埼玉県川越市)の監督に就任する見通しとなったことが29日、分かった。プロ野球の監督経験者が大学監督に就任するのは初めて。
古葉氏は遊撃手として58~71年に広島などでプレー。75~85年に広島を指揮し、日本一に3度導いた。87~89年には大洋(現横浜)監督を務め、99年に野球殿堂入りを果たした。
05年の学生野球憲章改正により、元プロ経験者もプロチーム退団後2年が過ぎ、日本学生野球協会の審査で適性が認められれば、大学の指導者に就くことが可能になった。古葉氏も今後審査を受け、認められた段階で正式に監督就任が決まる。
毎日新聞 2006年8月29日 17時27分 (最終更新時間 8月29日 19時04分)