ベイスターズ・金城選手の記事から見る日韓関係
今日は終戦の日です。戦争について考える視点は一つではないと思います。
本日は、数日前の新聞記事を紹介します。横浜ベイスターズでは今や主力選手の一人、金城選手が韓国人というのは初めて知りました。
日本と韓国の関係、なかなか難しいものです。。。
朝日新聞 8月9日(水)より
国と私2 二つの「祖国」揺れる心
日本代表・金城選手「血はやっぱり韓国人」
韓国選手の歓喜の輪は、やがて大極旗(国旗)を先頭にしたウイニングランになった。
「優勝したみたいやな」。横浜ベイスターズの金城龍彦(30)は、ベンチ前のさくによりかかったまま、悔しそうな表情でそれを見つめた。
3月15日、米カリフォルニア州アナハイム。野球の国・地域別対抗戦(WBC)2次リーグで日本は韓国に敗れた。日本での1次リーグに次ぐ敗戦だった。
韓国系米国人の多い町で、スタンドは韓国への応援が圧倒的だった。似たようなアウエーの雰囲気を、以前にも感じたことがあった。
94年夏。韓国・ソウルの東大門野球場に金城はいた。韓国の高校野球全国大会「鳳凰大旗争奪大会」が開かれていた。「韓国の甲子園」と言われるこの大会に、日本から在日韓国人のチームが参加。3年の金城も、その一員だった。
最初の試合で「おかしい」と感じた。観客からは自分たちへのヤジが飛び交う。ストライクとボール、アウトとセーフ。審判の判定は不利なものばかりのような気がした。「勝たせるな」という雰囲気が球場を包み込んでいた。
「ぼくらは敵なんやな」。初めて訪れた祖父母や父母、そして自らの「祖国」。日本を出発する時の高揚感が、急速に冷めていく。準々決勝で敗れると、猛烈なホームシックにかかった。
祖国のことを知ってほしい、好きになってほしい。堺市に住む在日本大韓野球協会会長の韓在愚(ハンジェウ)(69)は、そんな思いで選手を集め、毎年韓国へ連れて行った。
審判ともめるのは毎度のこと。かつては観客から「パンチョッパリ(半日本人)」というヤジが絶えず、ツバをかけられる選手すらいた。
「これで母国愛って生まれるのか」。韓は自問した。年々、選手や資金集めが難しくなった。56年から始まったチーム派遣は、97年を最後に中断している。
アナハイムでの日本敗戦。かつてプロ野球・近鉄に所属した金城の父、晃世(あきよ)(60)はテレビの前で悔しがった。一方で割り切れない思いもした。息子がいなければ、どっちを応援するだろう。「複雑やな」。晃世は何度もつぶやいた。
晃世は大阪で生まれ育った在日2世。日本は「お世話になっている国」という。「自分の国」といえば、韓国だ。祖国の伝統は大切にする。法事には必ず子供たちも出席させた。自らは国籍を日本に変えることはないが、子供たちには本人の判断に任せた。
金城は首位打者と新人王を獲得した00年に結婚。その後、日本国籍を取得した。「ずっと日本に住むし、子どももいる。絶対、そっちの方がいい、と」
韓国に連敗した3日後。準決勝で日本は三たび韓国と対戦し、完勝した。「日本代表の一人として世界の舞台で戦えることがうれしかった」と、金城は言う。
それでもなお、日本人になりきれない自分を見つめる。「血はやっぱり韓国人だから」。今も帰省すれば、母の韓国料理に舌鼓を打つ。伝統を受け継いでいるという意識も強い。「結局、中ぶらりんなんですよ」
韓国に住む韓国人、日本に住む日本人。何の葛藤もなく「祖国」と呼べる人たちがいる。「ちょっと、うらやましい」と思う。
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